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嵐山を訪れる人は多いが、渡月橋を越え、その先の山の奥にある小さな寺まで足を運ぶ者は、そう多くはない。

渡月橋を渡り、ゆるやかな坂道を上ると、木々に包まれた静寂のなかに、法輪寺の山門がひっそりと姿を現す。初夏の午後、木漏れ日は石畳に細かな影を落とし、風に揺れるその影は、まるで時の記憶を刻むようにゆれていた。

朱塗りの多宝塔を仰ぎ見ながら、緩やかな百八の石段を登ると、京都の街並みが徐々に視界に開けてゆく。境内の端に立てば、眼下には桂川が銀の帯のようにきらめき、その向こうに広がる京の町が、ぼんやりと夏の陽炎にゆれていた。

遠く東山の連なりが霞のなかに沈み、西には愛宕山の緑が静かに構えている。渡月橋を行き交う人々の姿が豆粒のように小さく見える。この高台に立つと、喧騒はどこか遠くの世界のものに感じられ、風だけが肌をやさしく撫でてゆく。

木々のざわめきに耳を澄ませば、千年の都の息遣いが、かすかに聞こえそうだ。 風に乗って仄かに(ほのかに)香るのは、嵯峨野の竹林の香。法輪寺はただの寺ではなく、千三百年の京の過ぎし日の情景と静かな祈りが息づく場所だった。

法輪寺から見下ろす嵐山の風景を見ると、上村綾(かみむらあや)はいつもほっとする。雑念を払うように長い百八の石段を登り終える頃には、大きな悩みも些細な事に思えてくる。法輪寺に参拝した後、祖母の秀子(ひでこ)がよく「ええか綾、 お参りしたあとの渡月橋はな、渡りきるまでは、後ろを振り返ったらあかん」と言っていたのを綾は思い出した。

京都嵐山の渡月橋は法輪寺に参拝するために架けられたと言われ、平安時代には法輪寺橋と呼ばれていた。


ハワイと日本を舞台にした物語を書いている。この10年以上、毎年12月7日にあの日を想いパールハーバーを訪れている。ハワイに住む多くの日系人だけでなく、多くの日本人の人生を変えた開戦だった。ホノルルで20年以上を過ごし、日増しにあの日を想う気持ちが強くなっている。その気持ちを物語として書いている。いつか全部を公開できたらと思う。今日は物語の書き出しの一部を紹介してみた。写真はこの春訪れた、物語の舞台となる渡月橋と渡月亭である。

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