楽園ハワイと私

2002年、カリフォルニアよりハワイに引っ越してきました。ホノルル・ダウンタウンに住んでいます。

ホノルル今と昔

ホノルル今と昔(18)カイムキのクイーンシアター

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カイムキのメインストリートのワイアラエストリートに目立つ古い建物がある。大きなクイーンの文字が入ったネオン看板で何十年もの長い期間空き家のままで放置されている。ついに、その古い建物が生まれ変わる時が来たようだ。

戦争が始まる5年前の1936年に建てられたクイーンシアターは、その後50年ほど営業を続けてきた。850席のシアターは映画黄金時代には長い列ができるほど繁盛したが、時代と共に衰退し最後はアダルト映画を放映して警察の査察でそのドアを閉ざした。

シアターの建物は1985年より40年近く放置され、建物の老朽化が進み問題となってきた。建物の所有者には売却するか改装するようにと当局が指導してきたが、ついにホノルル市が建物を没収することを決めたようだ。

まだ法的措置は取られていないようだが、ホノルル市は、この建物をコミュニティセンター、非営利団体の本部、または低価格住宅として活用することが検討されている。古いシアターを復活させる市民の声も少なくない。いずれにしても、放置されてきた建物が生き返ることになってよかった。


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ホノルル今と昔(17)ビショップとニミッツ交差点から

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上の写真だけからホノルルのどこかがわかるだろうか?まだ成長しきっていない椰子の木の葉が邪魔して街並みがはっきりわからないが、右側の特徴ある建物からダウンタウンのビショップストリートとニミッツハイウェイの交差点であることがわかる。

特徴ある4階建ての建物は、1929年に完成したイタリアン・ロマネス様式のディングハム・トランスポーテーション・ビルだ。山側に真っ直ぐ続くビショプストリート先の左側が、生い茂った椰子の木が邪魔になって見えないが同年に完成したアレクサンダー&ボールドウィンの建物があるはずだ。写真の時代は1930年代半ばと推定できる。

もう一枚の下の古い写真は30年後の1960年代の写真だ。30年で椰子の木が成長して見やすくなっている。椰子の葉で隠れて見えなかったアレクサンダー&ボールドウィンの建物が左側に見える。現在もその勇姿を残して建っている。前にこのシリーズ9回で紹介したアレクサンダー・ヤングホテルも見える。

この写真を撮った左背後には1926年に完成したアロハタワーがある。ダウンタウンにはその時代を代表する古い建物がまだ多く残っている。そんな時代を想像しながらダウンタウンを散策するのも悪くない。

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ホノルル今と昔(16)ピグリーウィグリー

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昨日紹介した「ピグリー・ウィグリー (Piggly Wiggly)」のカラカウア店の古い写真が見つかった。右側の大きな靴の看板の右隣の看板に店名が見える。

ずいぶん前にワイキキのホテルのロビーで見た古い写真は逆方向から撮られたピグリー・ウィグリーの店舗が良く見える写真だったが、この方向からの写真は初めてだ。この写真は、路上駐車されている車両の年式から考えると戦前に撮られたものだろう。

この場所は、現代ではワイキキのサークルホテル隣のABCストアがある場所だ。このABCストアは、1964年にオープンした初めてのABCストアとして知られている。

久しくこの「ホノルル今と昔」シリーズを投稿していなかった。写真もだいぶ溜まってきたので、この二月は溜まった写真の整理を兼ねてこのシリーズを連投していこうと思っている。

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ホノルル今と昔(15)アラモアナセンター

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1959年8月にアメリカ一の大きなアラモアナセンターがオープンしてアメリカの注目を集めた。アメリカ領ハワイからハワイ州になった1週間前に87店舗で営業を始めたのだ。1960年代、車社会が拡大して大きな無料駐車場を持つショッピングセンターがアメリカ全土に広がっていった。そんな先駆けをしたのがハワイのアラモアナセンターだった。

当時オープンしたのは2階建のアラモアナセンターで、当時から65年続いている店舗は食料品スーパーのフードランドとロングス・ドラッグス、レインスプナー、郵便局だけだ。時代と共にセンターは拡張拡大して経営者も何度も変わっている。80年代のバブル時代は日本企業のダイエーがアラモアナセンターを買収し、17年間に渡り経営していた。

今日の写真はアラモアナセンターがオープンして少し経った1960年代前半のものだ。特徴ある50年代の車が2階の駐車場に停めてある。クリスマスの飾り付けがあるので、60年以上前のちょうどこの時期に撮られたものだろう。写真に写っている男女は1階に続くエスカレーターに向かっている。ワイキキには高層ホテルはまだなく、2階からダイヤモンドヘッドがこんなにも見える。

クリスマス明けの今日のアラモアナセンターは、クリスマス後のセールとクリスマスセールの返品に賑わっていることだろう。何度もの拡張工事でアラモアナセンターは65年前の面影は全くなくなってしまった。アラモアナセンターの店舗の移り変わりが激しい。時代は店舗販売からネット販売になろうとしている。アラモアナセンターも厳しい時代を迎えている。

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1959年開店当時(赤丸が写真が撮られた場所)

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ホノルル今と昔(14)ホノルル・スタジアム

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大谷翔平の二刀流の活躍で「ベースボールの神様」と言われるベーブ・ルースとの記録比較がよく話題になった。投手として時速160kmの直球を投げ、打者として50本以上のホームランを打つ大谷翔平の活躍は、100年前のベーブ・ルースの快挙と比較され注目を浴びた。二人の名前は野球史に永遠に残ることは確かだろう。

1934年アメリカプロ野球代表がハワイプロチームと対戦した。アメリカ代表チームが東京での日米友好親善ゲームに参加する途中にハワイに立ち寄ったのだ。日本での友好親善の18試合でベーブ・ルースは13本のホームランを打って、日本の野球ファンを喜ばせた。

そのベーブ・ルースがハワイの野球場でプレイしたのは、1926年に建設された野球場のホノルル・スタジアムだった。かつて日系人の多くが住んでいたモイリイリ地区に建設されたホノルル・スタジアムには、ベーブ・ルースの活躍を見たい2万6千人の野球ファンで満員になった。

1957年10月10日にはエルビス・プレスリーがコンサートをこの球場で開催し、満員のファンで埋まった。 木造作りの球場はハワイ特有のシロアリの住処となり、建設50年後の1976年に解体され、跡地には木々が植えられ市民が憩う公園になった。

リサイクルショップ「セイバーズ」のキングストリート向かいにある公園は、いつも通り過ぎるだけだったが公園に立ち寄ってみた。 キングストリートを通るたびに、この小さな公園に本当にスタジアムがあったのかと思っていたが、実際に公園の中に足を踏み入れてみるとその広さを実感する。

ベーブ・ルースが打者として立ったバッターボックス辺りに立ち、センター方向を眺めてみた。見えないバットを持って、バットを振ってみた。打球はセンターの130mを超えてホームランとなった。静寂の中に2万6千人の大歓声が聞こえる。公園の外からは実感できない広さの空間がここにある。  


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ホノルル今と昔(13)シーサイド&カラカウア

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「サーフィンの父」と言われるデューク・カハナモク像は、ワイキキを訪れる観光客の撮影スポットとなっている。デューク・カハナモクは、1920年、1924年、1932年のオリンピック水泳競技で3つの金メダル、2つの銀メダルを取っていることは知られているが、その後の彼を知る人は多くはない。

デュークは初めてのオリンピック後メダリストとして、アメリカ全土に知られしばらく話題の人となった。ハリウッドからも映画の出演依頼があったものの、インディアンの酋長など端役で長くは続かなかった。最後のオリンピック後、デュークは仕事がなく「私は水から上がれば、タダの人だ」だと嘆いていた。

そんなある日、ユニオン・オイルの社長が、ガソリンスタンドの仕事をしないかと申し出た。デューク・カハナモクは、金メダリストのプライドも捨て即座にガソリンスタンドの仕事に飛びついた。戦後間もない1950年頃だ。ワイキキと日本領事館があるヌアヌ通りの2店がデュークのガソリンスタンドとしてオープンした。デュークから直接ガソリンを入れてもらった幸運な人もいたようだ。

ワイキキのデュークのガソリンスタンドがあったのが、下の写真のカラカウア通りとシーサイド通りの角だった。現在H&Mのある場所だ。上の1950年代の写真と見比べると、あの角にそんな歴史があったことが想像できない。

ハワイを代表する偉人がガソリンの給油をしていてはいけないと、彼に相応しい仕事を申し出る人が現れ、ガソリンスタンドの仕事は長くは続かなかった。ホノルル市の保安官を20年務め、その後ホノルル市の善意の大使を務めた。


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ホノルル今と昔(12)ダウンタウン

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ダウンタウンのホテルストリートの古い写真を今の写真と比べてみた。ほぼ同じ場所から撮ったが、ほとんどの建物は現在残っていない。古い写真は戦前のもので、1920年前後に撮られたものと推測できる。ホテルストリートの中央には路面電車の線路が見える。

中央の6階建てのビルは、このシリーズ9回で紹介したアレクサンダー・ヤング・ホテルだ。その前にあるホテルストリートとビショップストリートの一角の2階建てのビルは簡易宿泊施設のようだ。今は高層ビルに建て替えられ、エグゼクティブセンター&ホテルとして営業している。ダウンタウンでは珍しい高層ホテルだ。

ダウンタウンの近代高層ビルのほとんどが1980年代以降に建てられたものだ。しかし、古い写真で唯一残っている建物がある。建物の外観が変わってしまっているが、建物の周りをチェックしてみると今でも古い建物の面影がある。ダウンタウンのマクドナルドの建物が、古い3階建てのビルを改装したものだ。この古い写真当時は写真屋だったそうだ。

このマクドナルド前のホテルストリートとフォートストリートの角は、戦前戦後はハワイ一の繁華街だった所だ。今のダウンタウンは寂れて、昔の華やかな雰囲気が感じられないのは残念なことだ。マクドナルドの向かいにヌードルの文字が見えるが、今は丸亀うどんの店舗になっている。この写真には写っていない左側の、丸亀うどんの並びには100均のダイソーが営業している。


*レインボーカウント: 午前8時半に出現 2024年 75日 

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ホノルル今と昔(11)インターナショナルマーケットプライスにターゲット開店

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2013年にワイキキの観光名所であるインターナショナル・マーケット・プレイスが長い歴史に幕を閉じた。三年後の2016年に登場したのは名前だけのインターナショナル・マーケット・プレイスに値しない、世界のどこにでもあるようなコンクリートのショッピングモールになり多くの人をがっかりさせた。

インターナショナル・マーケット・プレイスは戦後の1955年、移民が多いハワイらしくポリネシアに加えてアジアのマーケットとしてカラカウア通りとクヒオ通りの広い空間にオープンした。オープン直後の50年代の写真が上の写真だ。熱帯のジャングルの中に点在するマーケットはいかにもハワイらしい。日本の茶室もあったそうだ。カラカウア通りに面したマーケット入り口には、マーケットを代表する各国の国旗が掲げられている。

1961年公開のエルヴィス・プレスリー主演の映画「ブルーハワイ」からの写真が下のものだ。エルヴィスのガールフレンドが働く旅行会社のオフィスから見えるのがインターナショナルマーケットの入り口だ。現在は一方通行のカラカウア通りを左右に車が往来しているのが見える。

長い間ワイキキを代表してきたハワイの空間がつまらない空間になってしまった。 観光客だけでなくハワイに住む人々にも長く親しまれてきたハワイらしい貴重な空間だった。樹齢100年以上の大きなバニアンツリーが何本もあり、いつも鳥のさえずりが聞こえ、まるでディズニーランドの魅惑のチキルームに迷い込んだようでスティッチがどこかから出てきそうな空間だった。

夜のインターナショナルマーケットは、まさに夏祭りの夜がそこで毎晩繰り返されているワクワクする異空間だった。お祭りの露天商の怪しい雰囲気に、眩しいばかりのライトに照らし出される商品の数々がお宝に見えるような不思議な空間がインターナショナル・マーケット・プレイスだった。

無機質な本土のどこにでもありそうなモール空間は魅力も人気もなく、すでに店舗やレストランの多くが入れ変わりを繰り返している。開店前から厳しい客入りになるだろうと言われていた高級百貨店サックス・フィフス・アヴェニュー(Saks Fifth Avenue)も早々に閉店して、長く空きになっていた店舗が全国展開するスーパーマーケットのターゲットになる。オープンは今月27日だそうだが、ターゲットも長くは続かないだろう。

アメリカのどの地方にもあるターゲットに観光客は魅力を感じるのだろうか?ワイキキの象徴であるインターナショナル・マーケット・プレイスを潰したことは、ハワイの魅力を殺した犯罪に等しいと思っている。ミシガン州の土地開発投資会社によって再開発されたインターナショナル・マーケット・プレイスとは名ばかりで、あまりにも悲しく腹だたしい変化だ。申し訳なさそうに残された1本のバニアンツリーの悲しそうな声が聞こえてきそうだ。

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ホノルル今と昔(10) カピオラニ公園噴水の悲劇

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ワイキキのホテル街のカラカウア通りを抜け海沿いに真っ直ぐにダイヤモンドヘッドをめがけて走ると、噴水のあるロータリーがある。以前は水が出ていたが、最近は節水なのか水のない空噴水のままだ。この噴水には悲しい物語がある。


現在の噴水は1966年のものだが、初めてこのカピオラニ公園に噴水が設置されたのは1919年3月16日だ。日本とハワイは明治天皇時代から友好的な強い繋がりがあり、大正天皇の戴冠式を記念して日本がハワイに送ったものだ。

デザインは東京にある日比谷公園の鶴の噴水に似せた物で、天皇らしく鳳凰(フェニックス)が鶴に代わっている立派な噴水だった。当時のハワイには噴水はあったものの、こんな本格的な噴水は初めてであった。

1941年12月7日の日本帝国海軍による真珠湾攻撃によって、日本の象徴である天皇からの贈り物であるこの鳳凰の噴水が「日本帝国主義のシンボル」として民衆の非難の的となる。ホノルル市は1943年に貴重な噴水像を撤去した。

人間は愚かな生き物で、戦争で多くの物を失ってきた。そして今も戦争は続き、多くの尊い命と貴重な建造物などが失われている。


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ホノルル今と昔(9)ダウンタウンのホテル

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20世紀のホノルル・ダウンタウンを語る時、アレクサンダー・ヤング・ホテル抜きでは語れない。今のダウンタウンはそんなホテルが存在した気配も感じられない。戦前戦後のダウンタウンの風景には必ずこのホテルがあった。このホノルル今と昔(5)でもホテルの一部が写っている。

スコットランド生まれのアレクサンダー・ヤングは、1865年に妻と一人の子供をつれてハワイにやって来た移民だった。ハワイ島ヒロで友人と商売を始めた。その後、オアフ島に移り砂糖と鉄で財をなし、後に政治家としても活躍することになる。

客船がハワイに観光客を連れてくることに目を付け、ホテル産業に参入するためホノルル港に近いダウンタウンの中心に1900年アレクサンダー・ヤング・ホテルを建設を始めた。以前紹介したワイキキのモアナ・ホテルの完成は1901年だ。

アレクサンダー・ヤング・ホテルが1903年に完成したオープン式典には。ハワイの要人や著名人2,000人が集まってホテルのオープンを祝った。場所はホテルストリートからキングストリートのビショップストリート側の1ブッロクを占める大きなホテルだった。建物の両側が6階で中央部分が4階建て、192室の巨大ホテルだった。屋上は当時の上流社会の社交の場として栄えたそうだ。

完成当時の地元新聞は、シカゴ以西でその大きさと規模においてこのホテルに勝るものはないと記している。アレクサンダー・ヤングはこのホテルを完成させると、翌々年の1905年にはダウンタウンの旧ロイヤル・ハワイアン・ホテル、ワイキキのモアナ・ホテルを買収した。ヤングは当時ハワイのホテル産業の父と呼ばれていたが、1910年に76歳で亡くなった。

ホテルは、太平洋戦争中は軍施設として利用された。戦後、人の移動が客船から旅客機に変わるとダウンタウンも変化して、1964年ホテル部門は閉鎖され、ホテルはオフィスビルと店舗となった。古い格調あるホテルビルは、惜しまれながら1981年に取り壊された。

1931年、ハワイで初めてのエアコンの効いたレストランをオープンさせたのが、アレクサンダー・ヤング・ホテルだった。ホテルが建っていた場所の一部は、現在ビショップ・スクウェアとなり、ダウンタウンで働く人たちの憩いの場所となっている。


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2002年、カリフォルニアよりハワイに引っ越してきました。ホノルル・ダウンタウンに住んでいます。
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