楽園ハワイと私

2002年、カリフォルニアよりハワイに引っ越してきました。ホノルル・ダウンタウンに住んでいます。

ホノルル今と昔

ホノルル今と昔(28)ダウンタウン(ジェイムス・キャンベル・ビル)

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ダウンタウンを東西に走るホテルストリートとフォートストリート・モールの角に古いビルが今も利用されている。1階に文房具店のフィシャーが店舗に入る100年以上の古い建物だ。

ホテルストリート向かいには「丸亀うどん」が営業している。斜め向かいが「マクドナルド」、そして先日閉店したロスが並びにあった場所だ。

1919年に建設完成した当時は、1階にドラッグストアや衣服店などの店舗が入っていた。2階と3階は主に事務所が店舗として入っていた。第一次世界大戦が終わった直後だ。3年後の1922年に近くにハワイシアターが建設された。

道路には東西南北に走る路面電車の線路が見られる。フォードのモデルTが路肩に止まっているが、信号機はまだなく交通整理している警官らしき姿がほのぼのしい。今では想像もできない時代の姿だが、その当時の建物がまだ見られるのが嬉しい。


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James Campbell Building 

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ホノルル今と昔(27)パラマ消防署

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ダウンタウンからノース・キングストリートを西に進むと、右手に新鮮な魚介類やポキを販売するピンクの店舗が見えてくる。そこから50m先に進むと左手に古い存在感のある建物が建っている。1901年に建てられた当時の最新施設を誇るパラマ消防署である。

ハワイにおける初めての地中海ロマネスク様式のイギリス製レンガ造りの消防署は、その後25年間ハワイの消防署のモデルとなった。しかし、細部に渡るデザインなどにおいてこのパラマ消防署に勝る建築様式の消防署は生まれなかった。そんな貴重な古い消防署の建物がパラマ消防署だ。

高さ23mの火の見櫓は長い消火ホースをぶら下げて干すことができ、入り口は初めての電動で開閉できるようになった。緊急時に、消防隊員が次々と棒につかまって、するりと階下に下りて出動していく滑り棒が設置された初めての消防署でもあった。

1965年まで消防署として活躍した古い建物は、その後1981年まで事務所として使用されたが、今は固くドアを閉ざしている。1901年と言えば、ワイキキでモアナホテルが建設された年でもある。


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ホノルル今と昔(26)デューク像の大きな木(ワイキキ)

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上の白黒写真を見てすぐに場所を特定できる人は少ないと思うけれど、下の写真ならばハワイ好きならばほとんど場所がわかるだろう。白黒とカラー写真ではずいぶん時代が経って見えるが、画像に映る大木のバニアンツリーは時代が変わってもその存在感を示している、

ワイキキのカラカウア通りを西に行くと海が見えてくる場所は、ハワイを訪れる人に「これぞ、ハワイ、ワイキキ!」という風景が見えてくる場所だ。鮮やかな海の色と砂浜のビーチで横たわる人たちを見て、誰もがハワイにやって来たと実感するだろう。

そんな風景が目にとんび込んで来ると、目の前に生い茂るバニアンツリーが大きな日陰を作っている場所がある。上の写真の時代は車から判断すると、1940年代だと推測することができる。サーフィンの神様と言われるデューク・カハナモク像はまだ建っていない。デューク像が建ったのは1990年だ。

デューク像が建てられた辺りには、1926年から1968年まで存在したワイキキイン&タバーンの宿泊施設とレストランがあった。このブログを読んでいる人でここに宿泊した方は見えるだろうか?上の写真から15年ほど経った1950年代の写真にも大きなバニアンツリーが見られる。今と違ってカラカウア通りは対面通行だ。一方通行になったのは1971年である。


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ホノルル今と昔(25)ユニオンモール1940年代

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昨日に紹介した1860年前後の写真からおよそ80年後の1940年代の同じ場所を撮った写真である。まだユニオンストリートで道路として利用されているのが、駐車している自動車から判断できる。今はユニオンモールとなって歩行者が行き交う。

左側の高いビルにKRESS(クレス)の文字が見えるのは、全米のどの大都市にもあった庶民のための低価格の百貨店のような店舗で、天井が高く建築洋式に凝った建物が特徴的だった。

この建物はフォートストリート側とユニオンストリートから出入りでき、数日前のシリーズ19回の1964年のカラー写真にもクレスを見ることができる。ハワイでは1938年開業で、多くの人に惜しまれて1981年に閉店した。

今の写真と比べると、右側の店舗建物が今も存在するのがわかる。窓枠が同じ形をしている。現在モールの入り口で営業しているミスタードーナッツ(日本とは別物)の建物も古く、この一帯の建物は低層で戦前に建てられたものが多い。


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ホノルル今と昔(24)ハワイ初の消防署

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初めての消防署が1850年にホノルルダウンタウンのユニオン・ストリートに設立された。中央の高い建物がその消防署だ。当時はホノルルで一番高い建物として注目を集めた。道路は舗装されていなく、一般に馬車の時代だ。

1897年にベレタニア通りとフォート・ストリートの角に移されたので、古い写真は1850年〜1897年の間に撮られたものである。写真から判断すると、おそらく1860年ごろの写真だろう。日本では江戸から明治へ変化する時代だ。

この歪曲したユニオンストリートがあるホノルルも大きく変わっていく時代だった。今のダウンタウンからは想像もできない遠い昔の写真である。消防車も馬が牽引していたかもしれない。

現在はユニオンモールと名前を変えて歩行者専用の道路となっている。下の写真のモールの右側にはローカルに人気のミスタードーナッツがある。名前は一緒だが、日本のミスタードーナッツとは関係のないローカルのドーナッツ店だ。手前の通りはバス専用道路のホテルストリートである。


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ホノルル今と昔(23)タンタラスからの眺め 1959年

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このシリーズも20回を迎えた。今回はタンタラスの丘からワイキキを眺めた風景の比較をしよう。古い写真は66年前の1959年のものだ。ダイヤモンドヘッドの姿は全く変わっていないが、ワイキキの変貌には誰もが驚くだろう。ワイキキの高層ビルは今も増え続けている。

1959年はハワイが州としてアメリカ最後の50州目になった節目の年でもある。ワイキキの高層ホテルが建設され始めたのは60年代になってからである。それまでは、バンガロースタイルの宿泊施設が多かった。

また1959年はアラモアナセンターがオープンした年でもある。ショッピングの中心がダウンタウンから大駐車場を持つアラモアナセンターに移行する歴史的な転換期となる年でもあった。これを機会にダウンタウンは少しづつ寂れていくことになる。

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ホノルル今と昔(22)フォートストリート’50

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先回このシリーズ18回で紹介したホノルルで一番の繁華街だったフォート・ストリート。先回は1962年の写真だったが、今回は逆方向の山側から見た50年代初期のフォート・ストリートの賑わいだ。季節は飾り付けからクリスマス前のようで華やかさが一層目立つ。

人が旅客機で移動するずいぶん前から、ダウンタウンはホノルル港から下船した世界からやって来る人たちで賑わった。たくさんのホテルが存在し、目抜通りのフォート・ストリートにはデパートや専門店が並び、いくつもある劇場もいっぱいの人で埋まった。

写真中央に見える旧ブレイズデル・ホテルの建物は、現在も存在する古い建物だ。113年前の1912年5月にオープンしたのが、4階建て64部屋のブレイズデル・ホテルだ。写真中央のクリーム色のビルである。当時の一泊の料金はわずか1ドル。ワイキキのロイヤルハワイアン・ホテルが1927年の開業だから、ビンクパレスよりも早い開業だ。

ブレイズデル・ホテルは、1922年に建築されたハワイシアターやセントラルユニオン教会を設計した同じ建築家によるデザインで、歴史的な価値のある建物で現在も使用されている。かつてホテルだったことがわかる古いネオン看板は、劣化が激しく残念にも去年取り外されてしまった。

ほぼ同じ場所から撮ってみた今日の風景から、かつての賑わいを想像できるだろうか?今のダウンタウンは寂れ、ウィークデーの昼間と言うのに人の姿は少ない。空き店舗が多く、街全体に人を引き寄せる物がない。ホームレスたちの姿が目立つ。この100年以上の歴史で、今が一番人がいなく寂れているのがダウンタウンだろう。


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ホノルル今と昔(21)ダウンタウン1962

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1959年にアラモアナセンターがオープンするまではホノルル一の繁華街だったフォート・ストリート。車が行き交い人が押し寄せた過去が今では想像もできないほどだ。上の写真は1962年に発行された本からのフォート・ストリートで、下が同じ場所付近から撮った今の写真だ。ダウンタウンのマクドナルから山方向を見た写真となる。2日前に紹介したプリンスシアターが正面に見える。

ホノルル港のアロハタワーから山側に続く一直線の道がフォートストリートだ。かつて、ホノルル港に入港した世界からの客船から降り立つ人々が目にするホノルルの街がそこにあった。 アロハタワーから山側に歩いて行くと、フォート・ストリートとクイーン・ストリートの角の公園には今も大砲台がある。カメハメハ一世の時代に、ホノルル港を守るためのフォート(要塞)があった。フォート・ストリートの名前の由来である。

フォート・ストリートはいくつもの百貨店や大型店のある商店街だった。周辺には劇場や映画館が6つもある人を惹きつける繁華街だった。遠方に2日前に紹介したプリンセスシアターが見える。今も残る劇場は1922年に建てられたハワイシアターだけだ。 車の往来も激しいダウンタウン一の通りだったのが、アラモアナセンターがオープンすると街並みが変わっていった。

1968年、ホノルル市はフォート・ストリートを車両通行禁止の歩行者専用の道路に変えてしまった。 古い通りの一つとして栄えたフォート・ストリートを歩くと、今もその面影を見ることができる。足元のマンホールを見ると、1900が刻まれた120年以上も古いマンホールを見つけることができる。そんな遠い昔を想いながらフォート・ストリート・モールを歩くのも楽しいものだ。


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ホノルル今と昔(20)ダウンタウン教会

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ホノルルのフォート・ストリート・モールに古い教会がある。平和の聖母大聖堂(Cathedral Basilica of Our Lady of Peace, Honolulu)は我が家からも近く、毎日正午と午後5時の大聖堂の鐘の音を聞いて生活している身近な教会だ。地元ではフィリピン系の人たちが集まる教会としても知られている。

1840年に建設が始まって1843年に完成した、明治維新前に建てられた古い歴史のあるハワイで一番古い教会だ。上の古い写真で円柱の建物がこの教会で、教会前には大勢の人が集まっている1936年のある儀式の写真である。

病気になった兄に代わってハワイ王国へ宣教師として派遣されることになったのがダミアン神父であった。ダミアン神父は1864年にホノルルに到着し、1864年にこのホノルルの平和の聖母大聖堂で叙階され、司祭となった。ダミアン神父のハワイでの生活の始まりである。

その後、ハワイ王国モロカイ島において16年間、誰も顧みなかったハンセン病患者たちの介護に生涯を捧げ、1889年自らもハンセン病で命を落とした。49歳の若さだった。

ダウンタウンの平和の聖母大聖堂は、ダミアン神父のハワイでの人生の始まりの場所だった。彼の死後はハワイに埋葬されたが、1936年に生まれ育った故郷のベルギーに亡骸が戻された。その時の儀式の写真が上の写真である。昨日紹介したプリンスシアターが先に見えるだろうか?

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ホノルル今と昔(19)プリンセスシアター

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初めての消防署が1850年にホノルルダウンタウンのユニオン・ストリートに設立された。1897年に上の写真に写っているベレタニア通りとフォートストリートの角に移された。写真の右側の黒っぽい建物がホノルル消防署だ。消防車のヘッドライトが見える。

その後1934年に新しく建て替えられたのが現存するアールデコ様式の消防署だ。下の写真の右側に建物の一部が写っている。90年以上前に建設された消防署の建物は、以前にも紹介したように現在歴史的建築物となっている。

写真の中央に PRINCESS の大きなネオン看板が見える。1922年11月8日にオープンしたプリンセスシアターは1600の客席を持つ映画を観せてくれる劇場だった。戦前にはダウンタウンを中心にホノルルにはたくさんの劇場が存在していた。今も存在するハワイシアターの設立は1932年である。

そんな歴史と写真上の車から判断すると、上の写真が撮られたのは1920年代後半だろうと推測できる。プリンセスシアターは1968年に閉じられ、その後は今も存在する908ユニットのホノルルで一番大きなコンドミニアムであるククイプラザ (2棟)が1976年に建設された。

1980年このククイプラザの住人だったマーク・チャップマンがニューヨークに向かいジョン・レノンを銃殺して、世界の多くの人を驚かせた。ハワイではこのククイプラザがニュースとなり注目された。


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プロフィール

tigger

2002年、カリフォルニアよりハワイに引っ越してきました。ホノルル・ダウンタウンに住んでいます。
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