楽園ハワイと私

2002年、カリフォルニアよりハワイに引っ越してきました。ホノルル・ダウンタウンに住んでいます。

ホノルル今と昔

ホノルル今と昔(4)VJ Day 1945 カラカウア通り

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1945年8月15日、皇居前で昭和天皇の玉音放送を聞いて泣き崩れる日本国民の姿とは対照的に、ホノルルダウンタウンやワイキキでは終戦のニュースに戦勝を祝う喜びに満ちた人々の姿があった。終戦と同時に立場が変われば物事の意味が変わるのは当然のことだ。

東京湾に停泊する戦艦ミズーリの甲板で、日本の重光葵外相、連合国最高司令官のマッカーサーが降伏文書に署名したのがちょうど79年前の今日9月2日で、日本が正式に降伏したこの日を“VJデー”とすると宣言した。 1945年対日戦勝記念日(Victory over Japan Day)にトラックに乗りカラカウア通りを凱旋するのが今日のトップの画像だ。79年前のものだ。

当時のカラカウア通りのモアナ・ホテル前は戦勝を祝う人たちを乗せたさまざまな車両が行き来している。ダウンタウンでは、紙吹雪が舞い終戦を祝う人たちで溢れた。日本人である私たちにとっては、戦争で亡くなった大勢の人々への鎮魂の日であり、二度と悲惨な戦争が起こることの無いよう不戦の誓いを新たにする日だ。

その後、ハワイは1959年8月21日にアメリカ自治領ハワイ準州からハワイ州に 昇格して、ワイキキの開発が始まりコンクリートジャングルに変わっていった。

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ホノルル今と昔(3)モアナホテル前

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この写真を見てどこかわかる人はハワイをよく知っている人だ。1901年にオープンしたモアナホテル(現モアナサーフライダー)の玄関前の写真からカラカウア通りを見たものだ。古代ギリシャを模した玄関前の高い柱がなければどこかわからない。

玄関前のカラカウア通りは今は一方通行だが、この当時は対面通行だったのが車が停車している様子からわかる。カラカウア通りが一方通行になったのは、戦後から随分経ってのコンクリートビル建設ブームの1971年だ。

写真が撮られたのはもちろん戦前の1930年代であるのは車の型式から判断できる。モアナホテル前の建物は1921年から1953年まで営業していたモアナ・バンガローで、その後バンガロー・アネックスとなった。もちろん、その背後にはプリンセス・カイウラニ・ホテルはまだ存在していない。

写真右側の向こう側はカイウラニ通りで、その右角に今建っているのはハイアット・リージェンシー・ワイキキだ。この頃のワイキキは平屋がほとんどでビーチフロントのモアナホテルは別格だった。モアナサーフライダーの玄関先のロッキングチェアーで、遠い100年前のワイキキを想像するのも楽しいものだ。


*レインボーカウント: 午後6時すぎに出現 2024年 64日 
 
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ホノルル今と昔(2)

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先日から始めた「ホノルル今と昔」、思いのほか好評だったようなので続けていきたいと思う。この数年のホノルルの変化は想像に絶する。今日紹介するダウンタウンのフォートストリートは、かつてハワイ一の繁華街だったと誰が想像できるだろう?

人がまだ船旅をする時代、ダウンタウンのフォート・ストリートはアロハタワーからまっすぐに伸びる一本道で、ホノルル港からの溢れる観光客とダウンタウンで働く人たちで賑わっていた。フォート・ストリートの沿道にはデパート、銀行、ホテルや商業施設が並び車が行き来するハワイを代表する銀座街だった。

戦前は本土や海外から船でやってきた人たちの多くはダウンタウンに宿を取った。ダウンタウンのホテルストリートの名前は、ホテル街だったことに由来する。日本から1週間以上をかけてやって来た移民たちはまずはダウンタウンのホテルや旅館に泊まったのだ。

戦後人の旅が船から飛行機に代わって、ダウンタウンは大きく代わっていくことになる。ホノルル港に近いダウンタウンの多くのホテルは廃業しビジネスビルに変化していった。ホノルルには戦前の昔のその当時の名残を残す古い建物がまだ残っている。

ダウンタウンのフォート・ストリートは、1968年に車両が通れないように歩行者専用道路のモールとなった。それ以来、車両はこの通りを走れなくなっている。この通りに車やトロリー電車が走っていたことが嘘のようだ。上の写真に今も存在する建物を見ることができる。

112年前の1912年5月フォートストリートにオープンしたのが、4階建て64部屋のブレイズデル・ホテルだ。写真中央のクリーム色のビルである。当時の一泊の料金はわずか1ドル。ワイキキのロイヤルハワイアン・ホテルが1927年の開業だから、ビンクパレスよりも早い開業だ。

1922年に建築されたハワイシアターやセントラルユニオン教会を設計した同じ建築家によるデザインで、歴史的な価値のある建物で現在も使用されている。かつてホテルだったことがわかる古いネオン看板は、劣化が激しく残念にも今年取り外されてしまった。

ほぼ同じ場所から撮ってみた今日の風景から、戦前の賑わいを想像できるだろうか?今のダウンタウンは寂れ、ウィークデーの昼間と言うのに人の姿は少ない。街全体に人を引き寄せる物がない。ホームレスたちの姿が目立つ。この100年以上の期間で、今が一番人がいなく寂れているのがダウンタウンだろう。

 
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ホノルル今と昔(1)

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ずいぶん前に購入した一冊の本が手元にある。2007年に発行された Honolulu Then & Now  で、今はきっと古本として手に入れるしかないだろう。ハワイの歴史の一部が垣間見られる白黒の写真集で、歴史好きな人はきっと見たこともあるだろう。

日本帝国海軍による真珠湾攻撃直前(1941年)のホノルルの調べごとをしていて、ホノルルに住む私にとって身近な興味ある数々の写真を見つけた。新たなカテゴリーに「ホノルル今と昔」を設け、この本や古い写真などを紹介しながら今と昔のホノルルの写真をアップしていこうと思っている。

今日のトップの写真は、戦後の1940年代後半の写真だ。白黒の写真が現代の技術で着色されたものだ。左の高い建物がホノルル市庁舎で、中央にカワイアハオ教会、教会の背後になんとダイヤモンドヘッドの全貌が見渡せる。

中央に走るのがキングストリート。右手中央の高い建物はテリトリアルビル、その手前の時計台のある建物はカメハメハ大王像の背景になっている最高裁判所のビルだ。写真左中央、カメハメハ大王像の向かいにはイオラニ宮殿の正面門が見える。キングストリートには路面電車の線路がある。

写真が撮られた場所は1927年に建てられたハワイ電力のビルだと推測できる。当たり前のことだが、今はこのビルからは高層ホテルやコンドなどが邪魔をしてダイヤモンドヘッドの欠片も見えないだろう。写真中央下の駐車場は今も存在する中央郵便局前の駐車場だ。

下の写真は数日前にキングストリートで撮ったものである。右手の高層コンド前にカワイアハオ教会、左にはホノルル市庁舎が見える。この周辺は歴史的な建物が数多く残っているので、80年前と変わらない風景を見ることができる場所が少なくない。


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