楽園ハワイと私

2002年、カリフォルニアよりハワイに引っ越してきました。ホノルル・ダウンタウンに住んでいます。

ビートルズ(リバプール)

アビイロードから50年

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今アメリカで話題のタランティーノ監督の映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』は、1969年のカリフォルニアが舞台だった。同じ年の8月8日に撮られたビートルズの有名な写真がある。

4人がロンドンのEMIレコーディング・スタジオから出て、目の前にあるアビイ・ロードにある横断歩道を一列で渡る写真を撮影してから50年が経過した。その50周年を祝って世界から人が集まっている。この写真はアルバム『アビイ・ロード』のジャケットに使用されている。

この横断歩道はイギリス政府により英国の文化的・歴史的遺産の指定を受けている。世界でもっとも有名な横断歩道の一つになっている。ここに来ると誰でもビートルズを真似て写真を撮りたくなる(トップの写真は6年前に私が撮った写真)。ビートルズに興味のない人には何の面白みもない横断歩道だ。

レコードジャケットの撮影記念日に世界から3500人のファンが集まる。さすがビートルだ。そんな記念日が世界のニュースになり、ハワイのローカルニュースでも紹介された。アルバム「アビーロード」は私のお気に入りの一つだ。




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今日は何の日イエスタデイ

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ロンドンの大英博物館にかつて収蔵されていたものが、大英図書館で無料で公開されています。図書館の展示室には、レオナルド・ダ・ビンチの直筆の鏡文字のノート、モーツアルト、バッハ、プッチーニ手書きの楽譜など世界の値の付けられない貴重なものが展示されています。

4年前の「ビートルズの軌跡をたどる旅」では、この大英図書館をゆっくり訪れるために図書館前のホテルを取ったほどでした。私の目的はレオナルド・ダ・ダビンチやモーツアルトの手書きの原稿ではなく、ビートルズの楽譜が目的でした。とりわけ、ポール・マッカートニーが書いた「Yesterday」の原稿が見たかったのです。

世界中のミュージシャンにカバーされていて、「世界で一番多くカバーされた曲」としてギネスブックにも載っている「Yesterday」は、日本の音楽の教科書にも採用され教材になっています。この「Yesterday」はちょうど52年前の1965年6月14日と17日にロンドンのアビーロード・スタジオで録音されています。

彼女だったジェーン・アッシャーの家でポール・マッカートニーがある時期、間借りをしていました。1964年のある朝その部屋で目覚めてインスピレーションによってピアノで演奏したのが「Yesterday」のメロディでした。あまりに自然にメロディが出てきたので、ポールは最初どこかで聴いた誰かの歌ではないかと疑ったほどでした。

朝食前にできた新曲は「Scrambled Eggs(タマゴ焼き)」と名付けられ、そのメロディに歌詞が付けられました。ちゃんと歌えます・・・

♪ Scrambled eggs ♪
Have an omelette with some Muenster cheese,
Put your dished in the wash bin please
So I can clean the scrambled eggs. ♪

アルバム「HELP」の製作中、ポールは暇さえあればスタジオにあるピアノの前で毎日「♪ Scrambled eggs ♪」を歌っていました。5月下旬ポルトガルのリスボンで休暇を取り、その旅先で「♪ Scrambled eggs ♪」は名曲「Yesterday」に生まれ変わりました。リスボンの休暇から戻った2日後のちょうど52年前にアビーロードのスタジオで「Yesterday」が録音されています。

作詞作曲のクレジットは、レノン&マッカートニーになっていますが、実際はポールが一人で作詞作曲をした曲です。5人目のビートルズと言われるプロジューサーのジョージ・マーチンの提案でバイオリン2、ビオラ、チェロの弦楽四重奏を加えました。ロックがクラッシックになった瞬間です。

6月17日は「Yesterday」が生まれた日、そして今日18日はポール・マッカートニーの75歳の誕生日です。名曲とポールの誕生を祝って「Yesterday」を久しぶりに弾いてみました。外しまくりの一発録音ですが、安いギターのせいにしてまた再度撮り直しをしたいと思います。Happy Birthday, Paul !



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Abbey Road Studios


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ウクレレにスラックキーギターを(ビートルズ・Junk)

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新年もすでに1ヶ月が過ぎようとしています。新年を迎えて秘めた決心をしていました。まぁそんな大したことではありませんが・・・ 今週中にその決心を実行しないと計画倒れになってしまうので、やっと今日のアップになりました。

今年は一ヶ月に一回はウクレレとギターで、ハワイアンとビートルズナンバーなど私のお気に入りの曲を紹介したいと思っています。今更の感がしますが、そんなことを新年の目標に掲げてみました。余暇にウクレレやギターを手にしていますが一向に上達しません。いくらハワイでもダラダラやっていたら、短い人生、あっという間に終わってしまいます。

上達しない理由は明白です。明確な目標がないからです。ゴールを設定しなくては、たとえ短距離でもゴールにたどり着けません。もともと複雑な演奏はできないので、できるだけシンプルに演奏することです。私の演奏がきっかけでウクレレやハワイアンに興味を持ってもらえる人が一人でも現れれたらそれで大満足です。

大好きなビートルズですが、今日はポール・マッカートニーの曲を紹介します。ビートルズのメロディメーカーのポールは幼少のときからウクレレを弾いています。父親がセールスマン兼アマチュア・ジャズ・ミュージシャンであった影響で、ポールの家庭にはウクレレがありました。

ビートルズが解散後の1971年の2枚目のソロアルバムには、自らウクレレを演奏した名曲「ラムオン」があります。「C」と「F」を含んだシンプルな4つのコードで繰り返し演奏される曲は一度聴くとなかなか耳から離れません。世界のウクレレ演奏曲のベスト3に入るでしょう。

ポールとウクレレの結びつきは幼少にまでさかのぼりますが、ポールは昨年のコンサートでもウクレレを演奏しながら2曲を歌っています。ウクレレが大好きだった故ジョージ・ハリソンを偲んで「サムシング」そして自作の「ラムオン」です。今年4月に日本にやって来るポールですが、東京公演でもウクレレを弾きながら歌うポールが見れるかもしれません。

今日はそのポール・マッカートニーの曲を弾いてみました。ウクレレではありません。昨年から久しぶりにギターを弾いています。ビートルズが解散後の1970年の初ソロアルバムからの「ジャンク」です。ビートルズ時代の1968年に4人で行ったインドで生まれた曲ですが、ビートルズのアルバムに収められないまま解散してしまいました。ポールのファンでなければあまり知られていない曲です。96年のトムクルーズの映画「ザエージェント」でも流れていた名曲です。ポールをまねて左利きでギターを弾いてみました???

これからの演奏はワンコーラスで続けるつもりです。長く続けるには無理はしないことです。次の来月の演奏はウクレレで「アロア・オエ」をアップするつもりです。(今日の画像はリバプールのビートルズ博物館を訪れた時の写真です)



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銃に倒れたジョン


ホノルルのダウンタウンに住む男は市内で拳銃を購入してニューヨークに向かった。35年前の今日、ジョンはその男の銃の前に倒れて2度と目を覚ますことはなかった。CNNの今日のプライムタイムの特集は「Killing John Lennon」。

アメリカでは毎日のように発生している銃の発砲事件。2日前にもオアフ島カポレイのバーガーキングで銃を持った男が押し入り店内で発砲して逃げている。厳しい銃規制のある日本と違ってアメリカでは銃の発砲事件は珍しいものではない。

オバマ大統領は歴代の大統領で最も銃規制に熱心な大統領にもかかわらず、皮肉にも銃売り上げは年々伸びている。今年のブラックフライデーは1日の拳銃の売り上げの新記録を記録した。ブラックフライデーの隠れた売れ筋のヒット商品が拳銃とはいかにもアメリカ的だ。

先月のパリでのテロ事件、そして今月のカリフォルニア州サンバーナディーノの銃乱射事件以降、アメリカで銃の販売数が急増している。乱射事件が起こるたびに、自衛目的と規制強化の憶測から駆け込み需要が生まれ、銃の売り上げが伸びる。

1日30人以上が銃で命を失うアメリカには、自らの身を守る自衛権が憲法で保障されている。銃規制が進まないのは、西部劇時代のアメリカの歴史抜きには語れない。自衛権を否定することは憲法を否定することになる。

ハワイはアメリカでも治安の良い州だと言われているが、130万人の人口のハワイ州だけでも約100万丁の銃が民間人に所有されている。ハワイでも発砲事件は珍しくない。35年前ホノルルで購入された銃でジョンが亡くなった。アメリカの生活には銃が存在することを決して忘れてはならない。


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ジョージの愛したハワイ(ビートルズ)


今日はジョージの命日。58歳で亡くなって、もう14年になります。時の経つ速さを改めて感じます。ガンを患ったジョージはカリフォルニアで危篤状態になりましたが、ポールとリンゴが駆けつけ最期の別れをしたと言われています。

ハリウッドで亡くなり荼毘にされたジョージでしたが、本当は自分が愛したハワイの別荘で最期を過ごしたかったと言われています。ヒンドゥ教を信じるジョージは、遺言通り妻のオリビアと息子のダニーが見送るインドのガンジス河で最後の旅に旅立ちました。

ジョージはマウイ島に別荘を持っていて、80年代と90年代の多くの時間をここで過ごしています。妻オリビアがハワイで撮った写真集には、生き生きとした笑顔のジョージを見ることができます。

ビートルズの4人のメンバーの中で、誰よりもハワイを愛したジョージ。ハワイには確かにジョージの魂を感じるスポットがあります。マウイ島ハナ郊外の小さな部落ナヒクにあるジョージの別荘近くに海を見下ろす場所があります。ジョージのお気に入りの場所です。

風の音、木々の葉のすれる音、時々聞こえる小鳥のさえずり、遠くで波がブレイクする音以外何も聞こえない不思議な空間は、まさにジョージの魂が愛した空間として存在しています。


命日にジョージの「Here Comes The Sun」を弾いて冥福を改めて祈ります。


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マウイ島ハナのジョージ


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ハワイでスローダウン

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ここ数日朝夕に小雨(シャワー)がホノルルダウンタウンに落ちています。今日も夕方きれいな虹が見えました。

大通りの信号が点滅して、目の前のバス停にバスが滑り込んできました。ヌアヌの谷から飛ばされてくる雨粒、信号の点滅、バス停のバス、条件反射的に小走りにバス停を目指しました。濡れ始めた歩道は滑りやすくなっていたのでしょう。

踏み込んだはずの右足に大地の感覚がなく、体が異様な角度に傾いていきます。野球のランナーが2塁に滑り込むような姿勢で右足を大きく前に伸ばして転んでしまいました。ほんの一瞬の出来事でした。

幸いに上手く転んだようです。バスの中で体をチェックしてもどこにも痛みを感じません。体を支えた手にも、足にも痛みがありません。冷静になって考えてみると、ほんの少し手の付き方を間違えたら、あるいは足をひねる転び方をしたら、私の人生を変える救急病院行でした。

たかが少し遅れたところで、その日が変わるわけではありません。何の得にもなりません。膝などの関節を痛めたら、一生ものの傷となるでしょう。余裕のある気持ちを持てと言われているような気がします。少しスローダウンした生活をしようと思います。

スローダウンと聞けば、ニューオリンズ出身のピアニストでR&Bのラリー・ウィリアムズの名曲『スローダウン』が思い出されます。もちろんこの曲を世界に有名にしたのはビートルズでした。カバーしたジョンレノンの声が聞こえてきます。作曲家がビアニストらしく連打するピアノの音色が印象的な曲でした。私が好きなビートルズの初期のロックンロールナンバーの一曲です。

何も生き急ぐ必要はありません。スローダウンして、大きく深呼吸をしてゆっくり歩んでいきたいと思います。



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ジョン・レノンとハワイ(2)

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ジョン・レノンがニューヨークでマーク・チャップマンの銃の前に倒れて34年が経った。

ビートルズとの出会いは、私が中学生に入ってすぐのことだった。中学生の私の世界観を変えた。英語に携わる仕事に着いたのも彼らの影響が大きい。考えれば、私が今ハワイにいるのもビートルズがいたからだ。

昨年、念願のビートルズが生まれた英国リバプールに行くことができた。ビートルズゆかりの地を訪ね、新たに彼らの存在の近さを感じた。ストロベリーフィールズの門の前に建ち、ジョンの幼い頃に見た風景を想った。ジョンが5歳から18年間住んだメンディップスの叔母のミミの家には、まだジョンの魂が残っていた。ビートルズの初期のヒット曲の数々が生まれた場所だ。

ジョンが銃に倒れた翌年、ニューヨークにあるジョンのダコタアパートを訪れた。まだジョンの温もりがそこにあるようで、アパート前の守衛にジョンが倒れたのはまさに私が立つ所だと教えられた。ジョンは、40歳のまま今も私の中で語りかけてくれる。

マーク・チャップマンは1979年6月、カイルアの教会で日系人の女性と結婚式をあげて、ホノルルのダウンタウンに住んでいた。マーク・チャップマンはワイキキのコンドのセキュリティとして午前7時から午後4時まで働いていた。マークチャップマンはダウンタウンのコンドに住んでいた。1か月$425の21階にあるワンベッドルームからは、当時ダイヤモンドヘッドが見渡せたはずだ。

1980年12月マーク・チャップマンはジョンを殺害する決意をして、妻を残しハワイの自宅を出た。二度と戻ることのなかったマーク・チャップマンが住んでいたコンドが私の自宅近くにある。34年前の事件直後、ハワイでは彼の住んでいたこのコンドが話題になった。

事件から20年経過した2000年から、2年ごとに仮釈放審査が8月に行われている。今年も仮釈放申請が却下された。マーク・チャップマンは、ダウンタウンのコンドで何を考えていたのだろう?私は、このコンドを見るたびに人の運命を考える。マーク・チャップマンがハワイに戻ることは永遠にないだろう。


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ワイキキでビートルズ

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去年の英国リバプール参りから、たびたび紹介していますビートルズです。今年はビートルズがアメリカにやってきて50年の記念すべき年です。1964年2月7日のファブ・フォー(ビートルズ)のアメリカ訪問を記念して、先月はさまざまなイベントがありました。

ワイキキのパシフィック・ビーチホテル3階の大会場で、ビートルズのトレビュート・バンド(コピーバンド)「フォーエバー・ファブ」が1月からショウをやっているので行ってきました。ビートルズ・マニアとしては、覗かずにはいられません。

バンドメンバーのうち、ラスベガスのショウにも出ていたのがポールとジョン役の2人です。ジョージとリンゴ役はローカルでも活躍するミュージシャンでした。ポール役はもちろん左利きで、ヘフナースタイルのバイオリンベースを弾きます。英語訛りの話し方や仕草、歌が一番似ていて4人の中では1人際立っていました。さすがに世界のラスベガスで何ヶ月もステージをこなしていただけあります。

オープニングは50年前のエドサリバンショウの再現から始まります。エドサリバンの紹介で、フォーエバー・ファブの演奏が始まります。今晩のステージは午後7時からおよそ90分、24曲を楽しみました。すべてメジャーな誰もが知っている選曲でした。

チケットは1人52.35ドル。当初は毎晩のステージだったようですが、現在は月曜から木曜の週4回のステージになっています。今晩の入りは100人ほどのホテルの会場に、80人ほどが入っていました。ラスベガスと違ってハワイでの客入りは厳しいものがあるのでしょう。今日の様子から見ると、当日会場へ行っても入場できそうです。

キーボードが入ってからの後半のステージが、PA(音響)のバランスが悪くなってせっかくの演奏が聴き辛くなったのが残念でした。ハワイアンやフラを見るのもいいでしょうが、ビートルズファンならば一度は足を運んでもいいショウです。

今晩の曲目:
 I Wanna Hold Your Hand.
 She Loves You.
 All My Loving.
 A Hard Days Night
 I Should've Known Better.
 8 Days a Week.
 This Boy.
 Can't Buy Me Love.
 Do You Want To Know a Secret.
 Help!
 I Saw Her Standing There.
 Twist and Shout.
 Yesterday.
 Sqt. Pepper's Lonely Hearts Club Band.
 With Little Help From My Friend.
 When I'm 64
 Strawberry Fields Forever
 Yellow Submarine
 Imagine
 Get Back
 While My Guitar Gently Weeps
 Back in the USSR
 Revolution
 Hey Jude.


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50年前の今日ビートルズ(2)

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50年前の今日イギリスの4人の若者、ビートルズがCBSテレビ放送「エド・サリバン・ショウ」に出演しました。当時のアメリカ人口の60%ともいえる、約7300万人がその放送を見たといわれています。その時間帯の青少年犯罪がほぼ0件であったともいわれるほどの社会現象にもなりました。

今日はそのビートルズが「エド・サリヴァン・ショー」に出演して50周年となるのを記念して同じ時間にCBSテレビが特別番組「The Night That Changed America: A Grammy Salute to the Beatles」を2時間半に渡って放映しました。ビートルズファンとしては見逃すわけにはいきません。

スティービー・ワンダー、ジョー・ウォルシュ(イーグルス)、スティーブ・ルカサー(TOTO)、ユーリズミックス、デイブ・グロール、マルーン5、アリシア・キーズ、ジョン・メイヤー、キース・アーバン、ジョン・レジェンド、イマジン・ドラゴンズ、ケイティ・ペリー、ファレル・ウィリアムス、エド・シーランなどグラミー賞受賞アーティストたちがビートルズの楽曲を演奏しました。もちろん、フィナーレはポール・マッカートニーとリンゴ・スターの感動する共演でした。

当時のビートルズの映像が流れます。エド・サリヴァン・ショーの1曲目「All My Loving」の映像が流れて、突然50年前のビートルズの演奏にマルーン5のライブ演奏がシンクロします。50年前のビートルズが蘇るようで鳥肌が立ちます。

3曲目がスティービー・ワンダー」による「We Can Work It Out」、そして4曲目で涙目になりました。イーグルスのジョー・ウォルッシュとE.L.O.のジェフ・リンと共に登場したのがジョージ・ハリスンの息子ダニー・ハリスンです。ジョー・ウォルッシュのリードギターにジェフとダニーがジョージの名曲「Something」を歌います。最前席では、ジョージの妻でありダニーの母親オリビアが見守ります。

アーティストのプリゼンターは、ハリウッド俳優ジョニー・デップ、ジェフ・ブリッジス、ショーン・ペンと豪華そのものです。ポール夫妻の隣にはトム・ハンクス夫妻の姿も見えます。アリシア・キーズとジョン・レジェンドによる「Let It Be」、ファレル・ウィリアムスとブラッド・ペイズリーによる「Here Comes The Sun」、ビートルズの名曲のカバー・セッションが繰り広げられます。

ショウの最後はポールがピアノを弾き、リンゴがドラムを叩き会場全員で「Hey Jude」の大合唱です。ビートルズがさまざまなアーティストに影響を与え、ビートルズ音楽が世界を変えたことは確かです。50年後も多くの人がビートルズを愛していることでしょう。ビートルズの4人にあらためて大きな拍手をおくりたいと思います。



*日本でもWOWOW放送で明日11日(火)の21時から放送されるようです。


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50年前の今日ビートルズ

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1964年前の今日2月7日、イギリスから4人の若者が初めてアメリカを訪れました。今週はビートルのアメリカデビューを果たして半世紀50年を記念して、さまざまなメディアで特集が組まれています。

50年前、フランス・パリ公演を終たジョン(23)、ポール(21)、ジョージ(21)、リンゴ(23)をニューヨークのJFケネディ空港で3000人のファンが待ち迎えました。ビートルズの世界展開の始まりです。ビートルズは時代を超え、国境を越え、世界のさまざまな人びとに愛されています。現在も10代、20代の新たなファンに支持されています。これから50年後も確かにビートルズを聞く人はいることでしょう。

私がビートルズに初めて出会ったのが2年後の1966年の日本公演のテレビ中継でした。当時の視聴率の56.5%は想像もできませんが、日本の了見の狭い文化人の中にはビートルズを「乞食芸人」と呼ぶ人もいたようです。

本格にビートルズを聞き出した10代から、今聞いても新鮮なビートルズ。3年ほど毎日聴いた時期もありました。昨年は長年の夢、ビートルズが生まれ育った英国リバプールを訪れることができました。私のビートルズ熱は今も冷めていません、将来も冷めることはないでしょう。

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tigger

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