楽園ハワイと私

2002年、カリフォルニアよりハワイに引っ越してきました。ホノルル・ダウンタウンに住んでいます。

パールハーバー

真珠湾で80年前の神風特攻隊員の追悼式典

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ちょうど80年前の1945年4月12日、鹿児島県の鹿屋基地から日本海軍「第五建武隊」の16機の零戦が飛び立った。米軍主力はすでに3月26日に沖縄慶良間(けらま)列島に上陸し、4月1日には沖縄本島に上陸していた。決死の特攻作戦が始まり、北上する空母と戦艦を迎え撃つため、4月12日鹿児島県にある鹿屋航空基地から16機が飛び立ったのだ。

16機は大隅半島に立つ富士山を連想させる美しい山、開聞岳を二度と見ることはなかった。 重さ500kgの爆弾を装着したゼロ戦闘機は、敵の艦船に体当たりして沈める使命を持って出撃した。パイロットは必ず死ななければならない非情な特攻作戦だった。

戦艦ミズーリの右舷艦尾に背後から低空飛行で体当たりしたのが、まだあどけなさが残る岡山県出身の石野節雄海軍少尉(19)だった。その体当たりして湾曲した部分は、現在も真珠湾に浮かぶ戦艦ミズーリの右舷に見ることができる。彼の乗った飛行機は、衝突の際に飛行機の一部が主甲板に投げ出された。主甲板には飛行機の一部と彼の遺体も投げ出されていた。

戦艦ミズーリのウィリアム・キャラハン司令官は、敵機ながら海軍の伝統に従って若い日本人パイロットに適切な海葬を行うよう命じた。遺体にはアメリカ国旗に日本の国旗を描いて覆って、遺体を海に沈める水葬式を執り行った。戦艦に特攻した身元が判明したのは2001年で、ミズーリ艦上で鹿屋基地を出撃して戦死した特攻隊員の遺族が招かれて慰霊祭が開催されている。

昨日この出来事の80周年を記念し、パールハーバーの海上に停泊するミズーリ艦上で追悼式典が開催された。式典には、ウィリアム・キャラハン司令官の孫と、日本海上保安庁の司令官ら要人がハワイを訪れ式典が行われた。

太平洋戦争では多くの命が失われた。沖縄や本土に戦いの場所が移る前に、日本は降伏すべきだった。沖縄決戦前に大日本帝国が決心をしていたら、この19歳の尊い命も助かっただろう。また、日本に原爆が落とされることもなかっただろう。

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パールハーバー太平洋航空博物館に通う

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パールハーバーのフォードアイランドにある太平洋航空博物館(Pear Harbor Aviation Museum)の年間パスを購入して1年が経過しようとしている。この1年に少なくとも1ヶ月に1度は訪れた太平洋戦争が始まったグラウンドゼロのフォードアイランドの飛行場がある航空博物館。

この太平洋博物館から数百メートル離れた場所が、大日本帝国海軍の急降下爆撃隊がフォード島のウィーラー飛行場へ250 kg爆弾による爆撃を開始し初弾となった歴史的な空間だ。ここに立ち目を閉じると、過去のあの瞬間を想像するとができる。

航空機ファンで、歴史マニアならば、ここの空間は何かを感じる事ができる特別な空間だ。何度訪れても感動すら覚える。戦争について何もわからなかった小学生の頃に作った数々のプラモデルの原型が展示されている。

航空博物館で最初に迎えてくれるのは、零式艦上戦闘機 二一型(三菱A6M2)だ。1941年12月7日早朝の真珠湾攻撃では航空母艦「赤城」からパールハーバーに向けて飛び立った戦闘機「ゼロ戦」だ。赤城の甲板で出撃を待つ「ゼロ戦」のジオラマが作られている。

今の私たちには想像もできない歴史の重みが詰まったパールハーバー太平洋航空博物館、その展示物を通じてハワイの歴史などを不定期ながら私の言葉で紹介していこうと思う。


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真珠湾攻撃より83年

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83年前の今日1941年12月7日早朝、日本軍が真珠湾攻撃を始めた。真珠湾攻撃の83周年の追悼式がパールハーバーのアリゾナメモリアル公園で開催された。日本海軍の零戦による攻撃が始まった午前7時55分、世界からの参加者が黙祷を捧げた。

朝焼けのきれいな平和な朝だった。83年前の零戦の日本の若者たちはどんな思いでハワイにやって来たのだろう。だんだんと明けていくパールハーバーの静かで平和な風景を見ながら、83年前を想像してみた。

年月の経過と共に人々の記憶から忘れ去られようとしている私たちの生活を変えた戦争。私たちは83年前の過去を決して忘れてはならない。二度と同じ間違いを犯すことのないように平和を望む気持ちを忘れてはならない。




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ホノルル空港沖にある絶景のレストラン

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ハワイから日本に帰る飛行機が滑走路に出るまで少し時間がかかる。日本に帰国する際、ほとんどの航空機はホノルル空港の一番海側の大型機が利用する離陸用滑走路(RW8R)を利用する。ターミナルのゲートから誘導路を地上走行して滑走路に行く途中に見えるのが、この世のものとは思えない美しい海。

もっとハワイにいたいと思いながら、機内からあのエメラルドグリーンの美しい海を見たことがある人も少なくないだろう。 その最終滑走路に至る通路脇にあるレストランがある。誰もが行ける場所ではなく、ここはヒッカム空軍基地内にあるので軍のID所持者のエスコートがないと一般人は基地内に入ることができない。

今まで何度か同行して連れて来てもらったことがあるが、いつ来てもここのエメラルドグリーンの海の色はこの世のものとは思えない。コロナ騒動でここも経営が大変だったのだろう。新たな経営者になって店名が変わっている。この15年ほどの間に知っているだけでも名前が4度変わった。初めてここに連れてきてもらった時は「シーブリーズ Sea Breeze」だった。特殊な場所にある商売は簡単ではないかもしれない。

名前の変わったレストランは、店内が新しくなったわけでなく看板が変わっただけだ。店内のダイニングはずいぶん古さが目立つようになった。オープンのダイニングは、通常の空間と違って潮風で傷みも激しいはずだ。適切なメンテナンスが必要なようで、最近までキッチンの改装をしていたようだ。

ミリタリーIDを持っていたら、毎月のように通いたい空間だ。食べ物に特別感はないが、飛行機が飛び立つのを見ながらゆっくり食事できるこの空間は特別だ。次に来れるのはいつになるだろう?

*レインボーカウント: 午後5時すぎに出現 2024年 56日 

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フリーダムタワー(ヒッカム空軍基地)

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同時多発テロで崩壊したニューヨークの世界貿易センタービル跡地にフリーダム・タワーが建設されたが、ハワイにも同じ名前のフリーダム・タワーがある。ハワイのフリーダム・タワーは1938年に建設された給水塔で、1985年のパールハーバー・ヒッカム統合基地50周年を記念してフリーダム・タワーと名付けられた。

フリーダムタワーの高さは171フィート(51.8m)あり、塔は八角形でその直径は18.5フィート(5.6m)ある。166段の螺旋階段を使って上部の空間まで上がることが可能だ。戦時中はその空間に無線施設が設置されて使用された。今はクリスマスシーズンにはハワイ一大きなクリスマスツリーになり電飾で夜の基地住民を和ませる。

軍基地なので簡単に行ける場所ではないので、軍関係者にお願いしてここまで連れて来てもらった。ヒッカム空軍基地には何度か来ているが、このフリーダムタワーは初めてだった。一度は訪れたいと思っていた場所だ。帝国日本海軍のゼロ戦部隊のパイロットたちは皆、1941年12月7日の真珠湾攻撃の際にこのタワーを目撃している歴史ある建物だ。

フリーダムタワー周辺は軍人の住居が街並みを作っている。すぐ北にはヒッカム小学校もある。日本軍の攻撃では、宗教的な建物と思われて破壊されることはなかったが、周辺の給水パイプに被害が出て水の給水ができなくなったそうだ。1941年12月7日の世界を変えた歴史的瞬間を目撃したこのフリーダムタワーの壁に触れて目を閉じると、その当時を想像できる気がした。

*レインボーカウント: 午後5時すぎに出現 2024年 54日 

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環太平洋合同軍事演習が始まった

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パールハーバーには今世界中からの軍艦が何隻も停泊している。アリゾナ記念館前からも何機もの戦闘機を搭載した巨大な空母が見える。1週間前から2年に一回の「環太平洋合同軍事演習(RIMPAC)」が、6月27日から8月2日までハワイで開催されている。

オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、チリ、コロンビア、ドイツ、フランス、インド、インドネシア、日本、マレーシア、メキシコ、オランダ、韓国、フィリピン、シンガポール、トンガ、英国など29か国が参加する世界最大の戦争ゲームがハワイ沖で行われる。 日本からも95名の自衛隊員が参加している。

40隻の艦艇、3隻の潜水艦、150機以上の航空機、無人システム30機、2万5千人の兵士が参加するアメリカ海軍主催の世界最大規模の多国籍軍合同海洋軍事演習「環太平洋合同演習(RIMPAC)」は、実戦さながらミサイルや砲撃弾を使用して、何隻かの古い船がターゲットになって沈められるものだ。

今日のアメリカは独立記念日で祭日なので、参加している軍人たちもお休みで演習の緊張感はない。2年に一回リゾート地ハワイで開催されるのは、世界の軍人たちの慰労を兼ねた「戦争ごっこ」のイベントのようだ。

上の写真は原子力空母カール・ヴィンソンで全長が333mあり、70機の戦闘機を搭載できる。

*レインボーカウント: 午後5時すぎに出現 2024年 45日

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太平洋航空博物館でディズニー

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今日はハワイのローカルのニュースも全国ニュースも「D デイ」から80年が経つことを紹介している。1944年6月6日は、第二次世界大戦中にナチス・ドイツ占領下のヨーロッパにアメリカとイギリスを始めとする連合国軍が侵攻を開始した開始日である。

フランスにあるノルマンディー上陸作戦では初日に15万人の兵士が参加した。1998年スピルバーグ映画
『プライベート・ライアン』の冒頭20分の上陸での凄惨な戦闘シーンが話題になったことを覚えている人もいるだろう。

ハワイでは、この6月1日から年末までパールハーバーの太平洋航空博物館で特別展示会が開催されている。太平洋戦時中、ディズニーがどのような役割を果たしたのかが知れる特別展示会だ。大戦中ディズニーはアニメ映画を通じて、子供を中心としたアメリカ国民に正しい情報をやさしく伝達する映画作りに参加した。

会場はハンガー79の隣に設立されたテントの中だった。以前ボブ・ホープの特別展示があった所だ。会場内は写真撮影が禁止になっていた。太平洋航空博物館の展示会場ハンガー79は、雨漏りや窓の改装で現在入れない。展示物の様々な航空機が屋外で展示されていた。

今まで何十回と来ている太平洋航空博物館だが、フォード島への移動バスを待つ人の長い列、座れない人が出るほどのバスの中など観光客がいっぱいなのに驚いた。今までにないことだ。日本人観光客の姿はなく、ほとどんが本土からの観光客のようだった。

今晩も9時前にワイキキで花火?

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観光客の多いアリゾナ記念館

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今日はハワイで一番観光客が訪れると言われるアリゾナ記念館へ行ってきた。ここはもちろん、日本とアメリカ合衆国とが開戦した歴史的な場所で、歴史に興味がある友人のリクエストによるものだ。大きな観光バスなどでたくさんの観光客が訪れていた。

ビジターセンターから海軍が運航する10時のボートに乗って記念館に行ったが、日本人は私一人だけだった。東洋人と見られる人がほとんどいなかったのが不思議だった。インド人がいつもより多かったのが、いつもと違う風景だった。頭にターバンを巻いたインド人もいた。

友人にアリゾナ記念館に何度来たかを聞かれたが、よく考えてみるとビジターセンターには最低50回は来ていることだろう。海上の記念館にも20回以上は来ているはずだ。日本人として一年に一度は来なければならない場所として考えている。

ゆっくり3時間かけてアリゾナ記念館とビジターセンターを訪れた後は、少し遅いランチを駐車場の先にある唯一のレストランに向かった。2階のレストランからヨットハーバーを見下ろしながら、オープンエアで食事できるレストランだ。以前はこんなに人が入っていなかったのに、12時半を回っていた時間だったのか、テーブルに着くのに20分も待った。天気が良くて気持ちのいい一日だった。

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パールハーバーの新たなツアー

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今日は6月にオープンしたパールハーバーのフォード島にある管制塔ツアーに参加した。この管制塔は、1941年12月7日に日本海軍が真珠湾攻撃を目撃した貴重な歴史的建造物だ。長い間放置されていた航空管制塔が10年かけて修復され、一般に公開されるようになった。

真珠湾攻撃の時はこの管制塔施設は80%完成していて攻撃当時はすでに利用されていた。管制塔ビルの背後のタワーはまだ完成していなかったが、タワーは翌年5月に完成した。

この168フィート(51m)あるタワーの最上階に上がると、360度見渡せ太平洋戦争が始まった真珠湾を一望できる。真珠湾攻撃で沈んだ軍艦アリゾナの白いアリゾナ記念館が見える。また太平洋戦争が終わった戦艦ミズーリの甲板も見下ろすことができる。

アメリカとの太平洋戦争の始まりと終わりを同時に一望できる真珠湾のフォード島の管制塔は貴重な存在だ。トルピード(魚雷)を積んだゼロ戦九七式三号艦攻は低空で飛んでいるので、管制塔からの光景はまさにゼロ戦のパイロットが見たパールハーバーだ。ゼロ戦のパイロットたちは真珠湾上空からダイヤモンドヘッドも見ることができたはずだ。

今日は午前9:40の一番早いツアーに参加した。この時間は1941年12月7日当時の攻撃中の時間帯だ。まさに今日のような晴れた午前の真珠湾攻撃だったにちがいない。ツアーはおよそ40分、今日のこの時間帯の参加人数は6人だけだった。狭い場所のツアーなので、一日の参加人数は120人と限定されている。歴史に興味のある人には必見のツアーになるだろう。

ツアー料金は、34.99ドル(プラス航空博物館だと19.99+25.99ドル)

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パールハーバー太平洋航空博物館

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ハワイの歴史と言えば、1941年12月7日の日本帝国の真珠湾攻撃を抜きに語れない。この10年ほど毎年最低1回は訪れる場所に、2006年のオープンしたパールハーバーのフォード島にある太平洋航空博物館がある。何度訪れても同じだろうと言われそうだが、それが違うのだ。展示物が毎年増えていて、また同じ展示物でも展示方法を工夫を凝らせ変化させているのが私を飽きさせない。子供の頃に組み立てたプラモデルのタミヤ模型や長谷川模型の実物を目にすると、子供のように時の経つのも忘れる。

格納庫ハンガー37は博物館のメイン展示スペースで、日本の零式艦上戦闘機やUSSアリゾナの船体の一部など太平洋戦争に関する展示品となっている。

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空母の上で真珠湾攻撃の出撃を待つゼロ戦(三菱A6M2 )
21型航空母艦搭載用零式戦闘機(飛行可能)
開館以来展示されていたパイロットと出撃を送る整備員の人形がなくなっている

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昨年からの新しい展示物:戦艦アリゾナの残骸部分

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真珠湾攻撃直後に東京を襲ったB25ミッチェル爆撃機


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偵察爆撃機 SBD Dauntless

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P-40 ワーフォーク
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軍仕様のハーレーダビッドソンWLA750

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ハンガー79に展示される近代機

航空博物館の格納庫ハンガー79は、1941年12月7日の真珠湾攻撃時から残る数少ない貴重な建物の一つだ。ひび割れたガラスには銃痕の穴も残っていて当時の戦闘の様子がうかがわれる。戦場となった場所に残る唯一の航空博物館である。

ハンガーには最大30機の航空機を内部に展示することが可能性だ。建物は風通しよく、心地いい北東の貿易風が通り抜け、建物内で快適に仕事しやすいように設計されている。真珠湾攻撃時には、主に戦闘機の修理、組み立て、戦闘機への兵器の取り付けに使用されていた。格納庫の2階の中二階は、パラシュートのメンテナンスに使用された。

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アクロバット飛行のブルーエンゼルス

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ニュージーランドで発見されたB27爆撃機

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今楽しみにしているのが格納庫近くにある赤と白色にペイントされた航空管制官のために建設されたタワーの見学が計画されていることだ。一度に最大12人しか上がれないため、1日あたり約100人しか訪問できないようだ。地上158フィート(47m)からは、真珠湾全体を見渡すことができる。

アメリカとの太平洋戦争は真珠湾で始まり、戦艦ミズーリの甲板で終わった。その場所を同時に一望できるのは貴重な体験となるだろう。間もなく見学ツアーが開始される。是非訪れたいと思っている。



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