今からおよそ18年前、私はある想いを抱きナッシュビルに何度も足を運びました。ナッシュビルはカントリーミュージックの本拠地で、たくさんのシンガーやミュージシャンが住んでいます。ナッシュビルにあるミユージック・ロウと呼ばれる地区には、各種のレコード会社や音楽出版社がオフィスを構えています。
レコード会社や音楽出版社に自分が作ったオリジナルのデモCDを聴いてもらいたいという思いでオフィスを訪ねていたのでした。その頃、レコード契約したいという同じ思いでペンシルベニアからも11歳の少女がデモCDを片手にナッシュビルのオフィスを訪ねていました。
ナッシュビルには、シンガーやソングライターを目指す人が全国から集まり、何千人もの夢見る人たちが住んでいます。ナッシュビルのウエイターやウエイトレスの多くは、そんな将来のスターの卵たちです。11歳の少女は何度もナッシュビルを訪れますが、夢の実現はそんなには簡単ではありません。
11歳の少女は何度もナッシュビルで悔しい思いをします。3年間ナッシュビルに曲のピッチ(売り込み)に通います。14歳になってやっと認められソングライター契約をします。それをキッカケに家族はナッシュビルに引っ越します。
私も何度も足を運んだシンガー&ソング・ライターにとっての聖地、ライブハウス「ブルーバード・カフェ」がナッシュビル郊外にあります。薄汚れた狭いカフェには所狭しとテーブルにイスがあります。ここが世界に有名なライブハウスかと疑うような狭いカフェです。
マイクナイトの夜には、シンガー&ソングライターが自分のオリジナル曲を披露するためギター片手にライブハウスに並びます。お客さんのなかには有能な新人を探しているプロの音楽関係の人たちがいます。ここから有名になったアメリカの歌手は数知れません。14歳の彼女もこのブルバード・カフェのマイクの前に立っています。
2年後の2006年、彼女は16歳で全曲オリジナルのアルバム「テイラー・スウィフト」でデビューします。彼女のすごさは、すべての曲が彼女自身が作ったオリジナル。このアルバムは全米で300万枚を数える大ヒットとなります。2作目の「フィアレス」は初登場で全米1位になり、2009年に全米で最も売れたアルバムになりました。そして2010年、最年少の20歳で最優秀賞を含む4部門でグラミー賞を受賞しました。
その後の彼女の活躍は私が紹介するまでもありません。アメリカのカントリー部門で史上一番のアルバムの売り上げを挙げています。「ナッシュビル」がハワイにもあります。アロハタワー・マーケットプレイスでカントリーのライブが聴けるのが「ナッシュビル」です。数年前にクヒオ通りから移ってきました。
*YouTube は私がナッシュビルでデモ歌手を使ってオリジナル曲を録音したものです。女性版、男性版、少し歌詞を変えています。(アメリカで著作権登録済)
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