今日(2日前)のハワイの新たな感染者は143人、オアフ島で98人、マウイ島21人、ハワイ島で13人、カウアイ島8人、モロカイ島0人、ラナイ島0人。これまでの感染者数の合計は88,655人。新たな死亡者は1人、死亡者合計は1,040人。ワクチン接種率は72.4%。
オアフ島:60,104、ハワイ島:11,823、マウイ島:10,124、カウアイ島:3,236、モロカイ島:244、ラナイ島:145
生きている間にしたいことのバケット・リストを実行する旅に出かけた。学生時代から好きだったビートルズが生まれた英国リバプールにいつか行きたいと考えていた。2013年11月に、2週間のロンドン&パリの旅に出かけたのだ。今日はその6回目。
5回目では、ロンドンでビートルズゆかりの地、アビーロードに次いでセビル・ロウ(3 Savile Row)にあるビートルズが設立したアップル社の建物を訪れた。ビートルズのレコード会社だ。映画『Let It Be』のほとんどは、このスタジオで撮られている。このビルの屋上で予告なしのライブ演奏を行った。4人は屋上で「Get Back」などを演奏した。ビートルズ最後のライブ演奏だ。
6回目の今日は、ロンドンからビートルズ誕生の地リバープールに移動した。ロンドンで2泊したホテルを選んだのはホテル前に鉄道駅があること。ホテル前のユーストン駅には歩いて行ける。ユーストン駅の隣にはフランス・パリに行けるユーロスターが走っているパンクラス駅もある。便利な立地だ。
ホテルから歩いて駅に向かった。すでにハワイで事前に乗車する列車の座席は取って料金の支払いも済ませてある。余裕をもって駅に着き1時間に一本のリバプール行を確認すると、パニックに陥った。予約した時間の列車がキャンセルとなっている。旅にトラブルは付き物だが、予約した列車がキャンセルになるとは考えてもいなった。英国では運行が突然キャンセルになることはよくあるそうだ。
窓口で指示を仰ぐと、間もなく発車する列車に飛び乗って乗り換えてリバプールに行けと言う。英国の鉄道システムがよくわからない。英国は1990年代に国営鉄道が民営化されて複雑なシステムになっている。ハワイで予約を取った際も、時間帯によって大きく料金が変わるシステムに驚いた。行きと帰りの料金が違う。
列車に飛び乗るとほぼ満員だったが、運よく空席を2つ見つけた。余裕で座って行けると思っていただけに、乗車しても不安な気持ちが消えなかった。列車が動き出すと、リバープール行の乗客はラグビー駅で乗り換えるアナウンスがあった。1時間足らずでラグビーで下車して、30分ほど待っていると無人のリバプール行の列車がやって来た。リバプールに行く乗客は少なく、1車両に数人だけの乗車となった。
予約した直通の列車ならば、2時間10分でリバプールに着くはずだったのが3時間以上もかかってしまった。遅れたものの、終点のリパプール駅に着くと気持ちが高揚した。ロンドン-リパプールの鉄道料金は34ポンド(約5,100円)
駅からはホテルまでは歩いて行ける距離だ。グーグルマップのストリートビュで何度も歩いているので、ホテルまで迷わず行けた。宿泊ホテルはビートルズファンご用達ホテル「Hard Days Night Hotel」 で、ビートルズをテーマにした4つ星ホテルだ。19世紀の4階建てオフィスビルを110の客室数のホテルに改装して、2008年にオープンしている。
部屋にはリンゴ・スターと最初の妻モーリンの写真が飾ってあった。ホテルは改装直後でとてもきれいな気持ちのいいホテルだった。3泊で280ポンド(42,000円)。ホテルにチェックインした後は、若かったビートルズの4人が過ごしたマシュー・ストリートに出かけた。ホテル前の通りを右に曲がれば、ビートルズ生誕の聖地「キャバーン・クラブ」がすぐにある。
キャバーンクラブの反対側にはキャバーン・パブの煉瓦の壁に背をもたせかけたジョン・レノンの像がある。壁の煉瓦には、キャバーン・パブに出演したミュージシャンの名前が刻まれている。ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ザ・フーなど誰もが知る名前がある。
マシュー・ストリート沿いにはビートルズにまつわる場所がたくさんある。
キャバーン・クラブはビートルズが1961年から300回に及ぶステージ演奏した、ビートルズの4人にとってはデビュー前のホームグランドだった。マネージャーのブライアン・エプスタインとの出会いの場所だ。4人はここから世界のビートルズとなった。1973年工事のためオリジナルは取り壊されたが、ほぼもとあった場所に復元され今も営業を続けている。店内の洞窟のようなステージでは1人ビートルズが演奏をしていた。
翌日はレンタカーを借りて・・・へ向かう。
ビートルズの軌跡をたどる旅はつづく
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