今日(2日前)のハワイの新たな感染者は48人、オアフ島で26人、ハワイ島で1人、マウイ島14人、カウアイ島0人でが確認されている。これまでの感染者数の合計は31,490人となった。新たな死亡者は0人、死亡者合計は474人。
オアフ島:24,210、ハワイ島:2,645、マウイ島:3,270、カウアイ島:200、ラナイ島:111、モロカイ島:35
ダウンタウンのある一角を歩いていると、ふと時間軸を超えてタイムトラベルしているような雰囲気の街角に出会う。マーチャントストリートにはそんな100年以上も前に建てられた古い時代の建物が今も存在している。
横浜港を出港した日本郵船の客船に揺られてホノルル港に着いた日本人移民たちがきっと利用した銀行がマーチャントストリートにある。横浜正金銀行ホノルル支店(The Yokohama Specie Bank)だ。建物は1909年に16万ドル(約1,800万円)で建設された。
横浜商銀銀行は1892年からホノルル日本領事館内で業務を行ってきたが、業務の拡大に伴いこの地に支店が建設された。正金銀行は1880年(明治13年)に設立された国立銀行に準ずる銀行で、貿易決済を主な業務とした外国為替専門の銀行だった。
銀行は名前の通り、貿易と船の行き来が盛んだった横浜に本店を置いていた。横浜に現存する1904年に建設された本店建物(下)と比べてみると、ルネッサンス様式で建設されたホノルル支店はアーチ型の入口などがよく似ている。
横浜の建物は、東京銀行横浜支店として使われた後、現在は神奈川県歴史博物館となっている。ホノルル支店は、真珠湾攻撃の1941年12月7日直後にアメリカ軍警察が占領している。中地下には鉄格子を加えて、日系人の短期抑留所として使用された。マーチャントストリートに面する鉄格子は今もそのまま残っている。
建物は1954年に民間の手に渡り、その後、ホノルル・マガジンなどさまざまなビジネスオフィスとして利用された。最近までは幼児のデイケアセンターとなっていたが、今はテナントがいない空の建物になっている。建物内部は、柱や梁などが昔のまま残されている。
正面入口に入るとthe Yokohama Specie Bankのタイル貼りのフロアが迎えてくれ、戦前の世界を垣間見ることができる。入り口に立つと、すぐ目の前はホノルル港だ。目を閉じると、戦前の太平洋航路で活躍した日本のフラッグシップ日本郵船の「浅間丸」がホノルル港に入港しているのが見えた。
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