1941年12月7日の日本軍ハワイ真珠湾攻撃に対する報復としてアメリカ軍は翌年4月18日に初めて日本本土に爆撃機B-25を飛ばしました。東京、横須賀、横浜、名古屋、神戸などに16機の爆撃機がやって来ました。
日本とアメリカの太平洋戦争は始まったばかりで、アメリカ軍は基地から長距離飛行できる爆撃機を持っていませんでした。終戦直前に頻繁に日本全土を空爆したB-29はまだ開発されていません。
2001年公開の映画「パールハーバー」でも後半部分に爆撃機B-25が日本を空爆する模様が描かれています。爆撃機B-25の空爆には80人の精鋭なるパイロットなどの決死隊80名が集められました。
基地から飛ばすことのできない重量がある爆撃機が飛んだのは空母からでした。重い爆弾を積んだ爆撃機が離陸するには長い滑走路が必要です。常識から考えれば不可能なことです。たとえ離陸できても着陸はできません。ギリギリの燃料で決死隊は日本を目指しました。
日本本土を爆撃した後、16機の爆撃機は日本軍がまだいない中華民国軍の地域を目指しました。着陸に失敗して3人が亡くなり、8人が日本軍の捕虜となり3人が処刑されています。
日本本土を爆撃した爆撃機B-25の空爆隊の最後の生存者がこの火曜日にテキサス州で亡くなりました。103歳でした。新聞とテレビニュースが一斉に最後の生存者の死亡を伝えています。
パールハーバーのフォード島にある太平洋航空博物館を入ると、すぐ右手に真珠湾攻撃に加わった日本軍のゼロ戦が展示してあるのが見えます。そして中央には日本本土を爆撃した爆撃機B-25が展示してあります。一度は見学する価値のある歴史が学べるハワイの博物館です。
*レインボーカウント: 今日は午前8時半、午後6時前に目撃 2019年 24日
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