軍事歴史専門の日本人のブログ(山猫文庫第3版)で紹介された事実が今アメリカで話題になっています。下のYouTubeで見られます。7月11日の私のブログと合わせてお読みください。
真実を売り物にしているドキュメンタリー番組を制作するヒストリーチャンネルですが、先日紹介したアメリア・エアハートの遭難事故の究明に大きな疑いが問題になっています。歴史を覆す事実発見と騒ぎ立てたヒストリーチャンネルは昨日急遽会議を設け、再び事実を究明すると発言しています。
先の日曜日夜にヒストリー・チャンネルが、ドキュメンタリー番組「アメリア・エアハート:失われた証拠(Amelia Earhart: The Lost Evidence)」を放送しました。アメリア・エアハートは生き延びて、日本軍の捕虜になって死亡したと結論付けています。番組がその証拠としているのは、米国国立公文書館で見つかった一枚の白黒写真でした。
そこに写っているのが、不時着後マーシャル諸島(Marshall Islands)にいるアメリア・エアハートの姿かどうか専門家が現在の最新の技術を駆使して検討します。結果は、ほぼアメリア・エアハートに間違いないというものでした。
真実に迫る長期間にわたる捜査が2時間のドキュメンタリー番組で紹介されたのですが、日本のブロガー(山猫男爵さん)がわずかの時間でこの写真の出所を探し当てたのです。出版年月日が昭和10年10月(1935年)になっています。遭難事故が1937年7月ですので、遭難事故以前に撮られたものです。遭難後のアメリア・エアハートが写っているということは不可能です。
何日もの時間と現地まで足を運んで実証したドキュメンタリー番組の出した事実は、パソコンの前に座って検索した日本人ブロガーに簡単に覆されたのです。ドキュメンタリー番組の写真解析に始まる元FBI捜査官の推論は人を納得させるのに十分なものでした。私を含め多くの人たちは新事実だと信じたはずです。
なぜヒストリーチャンネルは写真の出所を最初に検証しなかったのでしょう。写真が遭難事故のあった1937年のものならば、マーシャル諸島は日本の委任統治下にあります。写真は日本人が撮ったものである可能性が高いはずです。番組の検証はそこから始まらなければなりません。
日本では国立国会図書館デジタルコレクションというサイトで、古い図書が一般に公開されています。そのサイトの検索で「南洋群島写真」と検索すると6件がヒットします。そこから年代を絞って1930~1939年で検索すると2件がヒットします。
そのうちの1冊の『海の生命線我が南洋の姿 : 南洋群島写真帖』(西野元章著)を1ページずつ繰っていくと、99ページ(44項)に問題の写真があります。「ヤルート島ジャボール港」のタイトルが付いた問題の写真です。
リンク:国立国会図書館デジタルコレクション
遭難後のアメリア・エアハートの生存を示す写真は、まったくの見当違いのものでしたが、依然として彼女の遭難には謎が残ります。ドキュメンタリー番組の中でアメリア・エアハートの姿を見たというマーシャル諸島とサイパン島の住民たちの目撃証言です。証言は長く言い伝えらたものですが、目撃者の一人当時12歳だった女性は今も元気にサンフランシスコでインタビューに応えています。
そんな謎に満ちたアメリア・エアハートの最期でしたが、ハワイからカリフォルニアまでの単独太平洋横断飛行にも成功したアメリア・エアハートの記念碑がワイキキにあります。ダイヤモンドヘッド下の灯台近くの展望台にある彼女の記念碑に気づく人はほとんどいません。(トップ画像)
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