ロイヤルハワイアンホテルの歴史は1871年にさかのぼります。1869年、英国からビクトリア女王の息子のアルフレッド王子がハワイを訪れました。当時のカメハメハ王5世は、ハワイには来賓を泊める特別な宿泊施設がないことを恥じました。英国のプリンスはヌアヌのクイーンエマのサマーパレスに滞在しました。
カメハメハ王はすぐに特別な宿泊施設の建設を命じました。イオラニ宮殿に近い現在のハワイ州立美術館のある場所に、ハワイ王国を訪れるロイヤルゲストを迎える「ロイヤル・ハワイアン・ホテル」が1871年に完成しました。
古い木造のロイヤル・ハワイアン・ホテルは長い年月で朽ちて、1928年アメリカのYMCAに建替えられました。その頃になると、ワイキキにはモアナホテルが建設され、そしてサンフランシスコの船会社マトソン社が、名前を受継いでワイキキに「ロイヤル・ハワイアン・ホテル」を建てました。ちょうど90年前の1927年の2月のことでした。
旅客機が飛ぶ以前、豪華客船で世界を旅行した時代に、この老舗ホテルがオープンしたのです。当時ホテルを利用した客の中にはハリウッド映画俳優がいました。その映画スターたちはマトソン社の豪華客船に乗って、マトソン社の建てたロイヤル・ハワイアン・ホテルに宿泊したのです。
1939年の名画「風と共に去りぬ」のクラーク・ゲーブルは、4度目の結婚のシルヴィア・アシュレーとのハネムーンでロイヤル・ハワイアン・ホテルに来ています。オープン当時は、何ヶ月も滞在する人たちも少なくありませんでした。
ロイヤル・ハワイアン・ホテルに息を引き取るまで38年住んでいたハリウッド女優ドリシー・マックカイルもいます。ドロシーはイギリス人ですが、若くして役者になる夢をもってニューヨークにやってきます。そして、ブロードウェイの舞台を踏みます。時代は、無声映画の黄金期を迎えます。彼女は、1920年代の無声映画時代の大女優になります。1930年代にトーキー(映像と音声)になってからは、映画「カサブランカ」のハンフリー・ボガートなどとも共演します。
彼女は、3度結婚しますが、いずれも長く続かず子供もいませんでした。30代半ばで、老いた母親の面倒のため映画界から去ります。彼女は、ハワイに魅せられたハリウッド・スターの一人でした。客船で太平洋を渡りハワイにたどり着く長旅でしたが、ハワイの魅力に憑かれ、ついにはハワイに住むことを決心します。
1950年代から亡くなる1990年までの38年間、ロイヤル・ハワイアン・ホテルに住んでいたハリウッド女優は、68年から始まったテレビ番組「ハワイ・ファイブ・オー」ではゲスト・スターとして何度か出演しています。
日の出と共にホテル前のビーチに出て泳ぎ、夕日を見ながらカクテルを傾ける毎日を過ごす、ハワイを愛した大女優でした。家族同然のホテルスタッフや友人に最期を看取られるまで、ドロシーはホテルを愛し続けました。残されたミリオンドル(何億円)の遺産は、家族同然のホテルスタッフなどに譲渡されました。そして、彼女の遺灰は、愛したワイキキの海へ還されました。
ロイヤル・ハワイアン・ホテルが「ワイキキの貴婦人」なら、彼女は「ホテルの貴婦人」です。黄昏時にホテルの中庭を歩いていると、遠い昔の貴婦人に遭える気がします。そんな歴史のあるワイキキのロイヤル・ハワイアン・ホテルがこの2月、90周年を迎えました。
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