DSC02023

私の住むコンドに礼儀正しいポリネシア系のセキュリティが一人います。フットボールのディフェンスにもなれるような大きな巨体に風貌は写真で見るカラカウア王によく似た好青年です。

いつも挨拶をする際に、名前の後に日本語で「~さん」付けして私のことを呼んでくれます。日本語の発音がとてもよくて、それを褒めると日本に10年以上いた父親に教えてもらったと言う。

詳しく尋ねると父親は長く日本で力士をしていたと言う。今の日本の相撲界はモンゴル力士が上位を占めていますが、かつてハワイ出身の力士の活躍に日本が沸いたものです。平成元年ごろの相撲界には、ハワイ出身の力士が少なくありませんでした。

ハワイ力士の先駆者、高見山の東関部屋には曙、高見王、高見州、大海、大空の5人、高砂部屋には、小錦、新錦、南洋錦の3人、武蔵川部屋は、武蔵丸がいました。曙と武蔵丸は横綱になり、小錦が大関として活躍した当時を懐かしく思い出す人もいるでしょう。

当時のハワイの地元新聞もハワイ力士の優勝のかかる一番になると、スポーツ欄の一面には小錦や曙、武蔵丸の土俵で活躍する写真が大きく載ったものです。その3人の活躍の陰で黙々とした気持ちをもって土俵に上がっていたハワイ出身の力士が、私のコンドのセキュリティの父親の高見王でした。

東関部屋の高見王は1986年に19歳で初土俵を踏み、1994年には幕下優勝を果たしています。190cm、197kgの体格に恵まれ、64場所を勤め1997年に230勝204敗の成績で引退しています。慣れない日本での格式を重んじる角界での苦労は想像以上のものがあったのでしょう。

人気テレビ番組ハワイ・ファイブオー(Hawaii Five-0)にカマコナ役で出演しているのが、同じ時期に同部屋にいたハワイ出身の高見州(Taylor Wily)です。高見州は初土俵の序の口で優勝、次の場所序二段でも優勝、翌年には幕下優勝を果たしていますが、わずか15場所で引退しています。ケガか何か続けられない事情があったのでしょう。

ハワイ力士の活躍から、その後相撲界には一部屋1人の外国籍の力士という厳しい規制が入りました。それ以来、土俵で活躍するハワイ力士が見られなくなりました。チャイナタウンに隣接する場所はかつて日本街でした。本格的な立派な土俵もあったのですが、今はスケボーの練習場に変わってしまいました。その前にあった小林旅館の建物も壊されて駐車場にってしまいました。

時代は変わりましたが、年配の日系人にはまだ人気のある日本の相撲、ローカル新聞のスポーツ欄の片隅には相撲の取り組み結果が出ています。アメリカの新聞で相撲の取り組み結果が毎日記載されるのはハワイだけでしょう。紙面にも日本との歴史を読み取ることが出来るのがハワイです。


*アロハストリートのハワイブログランキングに参加しています。
クリック応援よろしくお願いします。マハロ

*アメリカ合衆国の人気ブログランキングにも参加しました。
是非こちらもクリックしてください。

アメリカ合衆国(海外生活・情報) ブログランキングへ

65e278e5-s


line-52