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70年代から80年代の日本からのハワイのパッケージツアーは、午後のチェックインまでの時間つぶしに市内観光が含まれていました。ヌアヌ・パリにパンチボウルを訪れる、そんな時代がありました。もちろん、私の初めてのパンチボウルは、そんなツアーでの大型バスでの観光でした。


普段は静かなパンチボウル(国立太平洋記念基地)ですが、今日は一年で一番訪問者が多い特別な日です。メモリアルデー(戦没将兵追悼記念日)の今日、午前8時半から、軍関係者などの遺族やハワイ州、ホノルル市の関係者が集まり、パンチボウルで厳粛な式典がありました。今日は、アメリカの国旗が半旗になる祝日です。

メモリアルデーを前に、約5万の数のレイとアメリカ小旗が用意されました。ハワイのボーイスカウトの少年らの手によって、前日パンチボウルの丘で眠る戦士らの墓に、レイと小旗が捧げられました。レイは一般市民からのドネーションがほとんどです。今年も例年同様、ボランティアの人々が、ホノルルハレ(市役所)でたくさんのレイの制作に参加しました。

私の母の兄(伯父)は1945年終戦2日前、急きょ参戦したソ連軍の銃の前に満州で亡くなっています。日本では戦争は過去のものになっていますが、アメリカでは今でも、中東の緊張した戦場にいるアメリカ兵もいます。伯父を始め世界の戦争で亡くなった人たちの冥福を祈ります。

ホノルルでは日本の新興宗教主催の「灯篭流し」が天気に恵まれ厳粛に行われました。今年で16年を迎える何万人もの人が参加する、ホノルルのメモリアルデーの恒例行事になっています。


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