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日本人なら誰でも知っている黄門さま。葵の紋の水戸光圀公の刀を造っていたのが、武蔵の国、武州(今の八王子)の下原広重でした。もちろん時代は江戸時代の話です。

私の住むコンドの住人ロイ・カツヨシ・オオタケさんは日系2世です。ロイのお父さんは9歳の時、明治44年(1911年)に福島県からハワイに移住してきました。先に移住した父親や兄たちを頼って、母親と一緒に客船に乗ってやって来たのでした。

ロイはお父さんから大切にしなさいと手渡された家宝を持っています。それは祖先から代々伝わる日本刀です。ロイのお祖父さんがハワイに移住する時、荷物と一緒にハワイに持ち込んだものでした。

第二次世界大戦中のハワイの日系人強制収容所で、自分の父親が殺害された日系人のストーリーがハワイ・ファイブ・オー(Hawaii Five-O Season4-10)で放映されました。強制収容所に連れて行かれる日系人家族が持って行ける荷物は限られています。リビングルームに飾られた祖先から伝わる日本刀を大切そうに持ち出します。

文化人類学者ルース・ベネデクトの本が戦後(1946年)刊行されました。日本人とその文化を論じた『菊と刀』(The Chrysanthemum and the Sword)」は、アメリカ国務省戦時情報局海外情報部から依頼された調査に基づくものでした。アメリカは戦争に勝つために日本の戦争指導部の意思決定プロセスを知る必要があったのです。さらに進んで戦後の日本占領のために、日本人の考え方・感じ方をしっかり把握しておく必要があったのです。

『菊と刀』は、西洋人が日本人とその文化を理解するバイブルとなってきました。西洋人から見ると理解が難しい日本人の考え方や行動を、日本人の義理・恩・恥などの独特な深層感情を、長い歴史などに言及してわかりやすく説明しています。「菊」を愛でる優しく優雅な日本人は同時に、「刀」を崇拝する激しく残忍な国民でもありました。「菊」と「刀」は、日本人の象徴です。菊はパスポートの表紙(国章)にもなっています。

ロイのお祖父さんの父親は、江戸時代の人です。ロイのお祖父さんに刀が渡ったのは、きっとロイの祖先がサムライだったからにちがいありません。長い武士の江戸時代を終えて、日本は文明開花の明治を迎えますが、日本人の心にはまだ武士の魂が宿っていました。明治35年生まれのロイの父親はサムライとともにハワイにやって来たのでした。

サムライの魂が遠く日本から海を渡ってハワイにやって来ました。この刀にはそんな背景があるのかと思うと感動を覚えます。ロイのお祖父さんの出身の福島県には会津若松があり、かつての会津藩は武術武道家や古武術に長けた藩でした。伊達政宗のルーツがある地域です。ずっしりと重い刀の柄を握ると、何世紀も前の日本が見える気がします。

ロイの刀には「武州下原住廣重」の銘文があります。黄門さまの刀を造っていたと言われる刀職人の銘文です。推定400年以上前の日本刀です。刀は1941年の真珠湾攻撃直後に、没収を避けるため地中に長く隠されました。全長約66cmの立派な脇差しの小太刀は、残念なことに長く地中に埋められたため、傷みがひどく鞘は朽ちてしまいました。

刀骨董屋の鑑定では、最低でも数十万円の価値が付くはずです。ロイは生きているうちに、100年以上前に海を渡ってハワイにやって来た日本のサムライの魂を福島に還したいと考えています。



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