20年ほど前、カリフォルニアのスワップミートでボーイング社が所有していた爆撃機のオリジナル写真(持出し禁止機密写真)を見つけたことがあります。爆撃機の形状とそのさまざまなエピソードに魅かれていました。大人になってからこの爆撃機の模型を造ったこともありました。
1935年にボーイング社が開発した戦略爆撃機 B-17、第二次世界大戦では、偵察と戦略爆撃機として使用されました。ドイツ本土爆撃でドイツのヒトラーを敗北に導いた、フライング・フォートレス(Flying Fortress 空飛ぶ要塞)と呼ばれたB-17 がハワイに戻ってきました。
B-17 は頑丈で安定性に優れ、エンジンが2つ止まっても、機体や翼が穴だらけになっても戻ってくるものが多く、搭乗員に信頼される爆撃機でした。爆撃機ながらその雄姿は絵になり、B-17 はさまざまな映画にも登場します。日本を空爆した無機質な B-29 とは大違いです。
1985年NBCテレビの「アメイジンング・ストーリ(Amazing Stories)」の一話にスティーヴン・スピルバーグ監督の作品があります。B-17 の「最後のミッション(The Mission)」は、主演ケヴィン・コスナー、音楽ジョン・ウィリアムズというテレビ番組にはもったいない作品です。
1990年に公開されたB-17 が主役の映画「メンフィス・ベル」はヒットしました。1953年の映画「グレン・ミラー物語」では、主役のジェームス・ステュアートが格納庫のB-17 の前で演奏します。もちろん、第二次世界大戦を扱った映画で B-17 を見つけることは難しくありません。
真珠湾攻撃の1970年の映画「トラ・トラ・トラ」では、1941年12月7日早朝フォードアイランドに駐機する多くのB-17 が飛び立つことなくゼロ戦の攻撃を受けて大破しました。日本の奇襲攻撃直後の12月17日にカリフォルニアからハワイに一機の B-17 がやって来ました。
その B-17 偵察爆撃機は、翌年2月11日任務を受けてオーストラリアに飛びます。フィジー、ニューカレドニアを経て2月20日にオーストラリアの基地に到着しました。翌日すぐにラバウル港を空襲爆撃する命を受けます。
1万トンの爆弾を投下した後、ラバウルから飛び立ったゼロ戦と空中戦になりました。空中戦で燃料を使い果たし、ニューギニア北部の沼地に着陸します。搭乗していた9人のクルーは何日も暑いなか、未開の地をさまよいます。ついに現地の小さな村にたどり着き、捜査隊によって救助されました。飛び立った基地に戻ったのは、着陸して36日後でした。
1942年2月に沼地に不時着した B-17 は、その後30年間発見されることなく、半分水に浸かる沼地で手付かずのまま放置されました。1972年に発見された B-17 を引き上げてアメリカ本土に回収するのにはニューカレドニア政府の許可が必要です。発見から34年経った2006年についに政府からの許可が下りました。ニュージーランドを経由して、2010年5月カリフォルニアに運ばれました。しばらくカリフォルニアで展示されました。
72年の月日を経て今年4月パールハーバーに帰ってきました。何度かのプラモデル製作で馴染みのあるあの雄姿です。目の前に横たわっているのは模型ではありません。言葉に言えない複雑な感激がありました。航空博物館のスタッフによると、復元するには5ミリオンドル(5億円)がかかるそうです。巨額の費用が必要で、現在は復元の予定はありません。いつの日か、復元された B-17 の雄姿を是非見てみたいと思います。
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