今年は、あの忌々しい日から10年の節目です。この数日メディアでもその10年を振り返る特別番組を放映しています。今朝のハワイの新聞も1面で紹介され、またその特集に多くの紙面を裂いています。


以前にも観たことのある、ペンシルベニア州に墜落したユナイテッド航空93便墜落の映画「ユナイテッド93」をテレビで観ました。搭乗していた人達の死を覚悟する様子が描かれた映画です。ホワイトハウス、国会議事堂を目指していたテロに乗っ取られた旅客機が、乗客たちの必死の覚悟で、野原に墜落させた再現映画です。このテロでは、ハワイからは2人の女性が亡くなっています。言葉がありません。


今日の日を特別な日と考えるのは、あの日に犠牲になって亡くなった人だけではありません。今もあの日のために、命を落としている人達がいます。アフガニスタンでは、毎日のようにアメリカ兵が亡くなっています。ハワイからアフガニスタンに出兵して、悲しい帰国をした人も少なくありません。まだあの日は終わっていません。


10年前のアメリカ同時多発テロの犠牲者数は2983人(日本人24人)ですが、テロ後アフガニスタンで亡くなるアメリカ兵の数は、10年前のその犠牲者数の2倍になっています。先月は、タリバンとの戦闘に参加していたヘリコプターが墜落して、一度に30名のアメリカ海軍特殊部隊「シールズ」のメンバーが亡くなっています。「シールズ」は5月にオサマ・ビンラディン容疑者を殺害した作戦を行った人達です。アメリカ兵が一度に犠牲になった数としては過去最悪で、アメリカのトップニュースにもなりました。そして、今も毎日のように犠牲者が出ています。


ハワイのダウンタウンのホノルル・ハレ(ホノルル市役所)でも、今日午後からナイン・イレブンのセレモニーがしめやかに行われました。テロの1年後にホノルル・ハレ前には、2001年9月11日アメリカ同時多発テロの犠牲者を忘れないよう「永遠の炎の碑」が建てられました。ハワイからも6人の犠牲者が出て、今日は6つの献花がされました。記念の今日、私も碑の前で手を合わさせていただきました。


NYのツインタワーの世界貿易センタービルには、2度ほど行ったことがあります。私が犠牲者になっていた可能性も皆無ではないことを考えると、今の自分の置かれた環境に感謝しなければなりません。


父親を2001年9月11日に亡くした5歳の女の子の声も、私たち常識ある大人たちは決して忘れてはなりません。私たちにとってあっという間の10年でしたが、幼稚園前の幼い子供が、大人になり始める10年はきっと長い10年だったことでしょう。


下のYouTubeの和訳:
「もう1年。パパがいなくて、とても淋しい。ママが言うには、パパは安全で、とても美しい場所で天国という場所にいるんだってね。今日、パパが大好きだったディナーを食べたよ。ニンジン嫌いだけれど、全部食べたよ。この夏泳げるようになったよ。水の中で目を開けることもできるよ。パパ、私が見える?」

「もう5年が経ちました。私は小学5年生になりました。難しいけれど、私コンピューターが好きです。パパのTシャツを着て眠るのをママが許してくれました。まだパパの匂いがする。電気を点けたまま寝なくてもよくなりました。泣かないようにしているけれど、パパを想うと泣いてしまう。パパがいなくて本当に淋しいよ。パパ、私が見えますか?」

「もう10年が経ちました。私は高校生になりました。お父さんの誇れる娘になれるかしら。今サッカーをやっています。フィールドでプレイしている私の姿が見えますか?大学に行こうと思っています。私、医者になれかなぁ?お父さん、バージンロードを一緒に歩いてくれるのはお父さんしかいません。悲しまないと思っているけど、辛いんです。お父さんは、いつも私のヒーローです。お父さん、大好きです。私を見ててくれますか?」 迷訳:tigger



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