今日は、ハワイが52年前にアメリカ合衆国の50番目の州になった記念の日です。ハワイでは、祭日になっていてダウンタウンの官庁街とビジネス街はどこもお休みで静かです。
ハワイがアメリカ合衆国に認定された1959年のハワイは、大きな転換期を迎えていました。アラモアナ・ショッピン・センターが誕生した年です。ハワイはかつて、砂糖キビが基幹産業で、長くハワイの経済を支えてきました。1835年にカウアイ島で始まった砂糖キビ栽培も、ハワイのいたる所にあった砂糖製糖工場も、今はカウアイ島とマウイ島でしか見られません。
プランテーションの黄金期には、カウアイ島の砂糖キビ農場の地主ゲイロード・ウイルコックス氏の大邸宅が、1935年にキロハナに完成します。カウアイ島では、過去においても現在も一番高価な邸宅になっています。当時は、カウアイ島の経済と文化の中心がこここにありました。
当時の贅を尽くしたこの大邸宅には、本土サンフランシスコから取り寄せた家具や調度品が並びます。当時の砂糖キビ産業全盛期の家主の生活ぶりがうかがえます。現在は、大邸宅が博物館として一般公開され、庭を囲むようにテーブルが並ぶ屋内のレストランやギフトショップが利用できるようになっています。
当時の砂糖キビ産業(プランテーション)の一部を知ることができるよい場所です。底辺の一日数十セントの安い賃金で働く移民の生活によくスポットが当てられますが、移民たちの頂点に立つ人の生活を知ることはハワイの歴史を知る上では貴重な存在です。
かつて26000エーカー(東京ドーム2260個分)あった砂糖キビ農園にある大邸宅のキロハナ・プランテーションは、105エーカー(東京ドーム9個分)の敷地をもっていました。その広大な敷地に、2007年に砂糖キビ鉄道が再現されました。昔は、オアフ島でもハレイワからホノルル港まで鉄道が砂糖を運んだように、このカウアイ島でも再現された鉄道のように、このキロハナから港まで鉄道が敷かれていたのでしょう。
現在はキロハナのカウアイ・プランテーション鉄道に乗って、広大な大邸宅の敷地のさまざまなテーマ園を巡ることができます。40分と4時間ツアーがあり、列車に乗って自然を親しむ、ちょっとしたテーマパークのような施設になっています。
キロハナは、ハワイ語で「最高の」「優れている」という意味になり、まさに当時の最高の砂糖キビ・プランテーションだったのがうかがわれます。機会があれば、一日かけてゆっくり過ごしたいと思います。
Kilohana
3-2087 Kaumualii Highway
Lihue, HI 96766
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