1996年スティーヴは休暇でハワイに来ていました。ハワイは自然に恵まれた魅力ある島です。彼はハイキングに出かけ、運悪く足を滑らせて骨折してしまいました。その事故が原因で、股関節を悪くします。完治の望みはなく、人工関節にしなければ普通の生活に戻れません。


スティーヴには大切な仕事が待っていました。仕事仲間は、すぐに手術して社会復帰して仕事を続けることを勧めます。スティーヴは、自分の股関節を人工関節にするのをためらっていました。

「まだ自分は40代と若い、人工関節にすることを先延ばしにできるはずだ。」
仕事仲間は、1日も早くスティーヴが社会復帰することを望みます。彼がいなくては仕事ができません。

「スティーヴ、一体いつになったら仕事に戻るんだ?早く戻ってくれないと俺たちも困るんだ!」
「頼むからもう少し待ってくれ!」
そんな会話を1年半もした後、仲間との関係がギクシャクしてついに決別します。

1980年代に何曲ものヒット曲を出したロックバンド「ジャーニー」からヴォーカルのスティーヴ・ペリーが、1998年バンドを脱退しました。もとサンタナのバックバンドのメンバーが集まって結成され、ヴォーカルのスティーヴ・ペリーの参入で世界に認められるロックバンド「ジャーニー」になったのに残念な脱退でした。


スティーヴ・ペリーの極めて広い声域とその印象的な熱唱には、多くの音楽関係者や批評家が「百万人に一人の声」「黄金の声」と絶賛しました。彼の当時の人気と実力は、1985年に収録された"We Are the World." の21人の歌手の1人に選ばれていることからもわかります。


「百万人に一人の声」と言われたスティーヴ・ペリーがフィリピンにいました。2007年、「ジャーニー」のメンバーが、YouTubeに投稿された「ジャーニー」のカヴァーをしているアーネル・ピネダを偶然に見つけて驚きます。かつてホームレスだったアーネル・ピネダのシンデレラ物語の始まりです。18歳若返ったスティーヴ・ペリーの声と歌唱力をもつ元気なアーネル・ピネダの「新生ジャーニー」の始まりです。


アーネル・ピネダの「新生ジャーニー」の旅たち(ジャ−ニー)は上手くいっています。この12月にはハワイにやってきます。12日と14日の2日間の公演です。かつて「ジャーニー」を聞いて涙した人もいることでしょう。YouTubeでもう一度涙してください。


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