楽園ハワイと私

2002年、カリフォルニアよりハワイに引っ越してきました。ホノルル・ダウンタウンに住んでいます。

2023年05月

大切にしたい切手

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ちょうど2年前に一枚の記念切手が発売された。図案はハワイ島ニロレ出身の日系人ヤマモト・シロクさんの79年前の軍服姿が採用された。日系人部隊の「Go For Broke」の切手だ。発売されすぐに売り切れとなった貴重な切手が貼られた封書が届いた。

シロクさんの名前の由来が日本らしくていい。父親が46歳の時の子供で、四六と名付けられた。1923年にシロクさんが産まれてすぐに母親が家を出て、父親が1人でシロクさんを育てた。病気の父親の面倒を見るため高校に行けなくなり、シロクさんが16歳の時に父親が亡くなった。

16歳で孤児となったシロクさんを白人アメリカ人夫妻が養子縁組をして育てることになった。1941年12月、日本による真珠湾攻撃でシロクさんの人生が大きく変わる。当時の日系アメリカ人の誰もが、厳しい現実と向かい合わなければならなかった。

シロクさんは、アメリカ日系人による第442連隊戦闘団に志願兵として従軍して、ヨーロッパの前線で勇敢にたたかった。フランス山岳地帯のブリュイエールの街をドイツ軍から開放し、歴史的に有名な救出困難とされたテキサス大隊の救出にも参加して終戦を迎えた。

1946年の除隊後、シロクさんは従軍中に貯めたお金を利用し4年間本土で職業訓練を受け、そしてハワイに戻って来た。ハワイに戻ると同時に、戦中、戦後より手紙をやり取りしていた高校のスクールメイトの日系人女性と結婚をし最後まで添い遂げた。

この記念切手は過去の日系人の歴史を思い起こしてくれる。消印がある使用済みの切手だけれど、この切手を大切に保管したいと思う。

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アロハ・スタジアムはどうなるのだろう?

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ダウンタウンからレッドヒルを下っていくフリーウェイから雄大な風景が見えてくる。パールハーバーにアロハ・スタジアムが見える。朝なら前方にきれいなレインボーがかかっているのがよくみられるスポットである。私はこの下り坂が好きだ。

アロハ・スタジアムが間もなく取り壊しになるはずだ。アロハ・スタジアムが老朽化して新たなアロハスタジアムが建設される予定だ。建設計画が二転三転してまだ明確なプランが決定していない。決定してもコロコロ変わるのがハワイだ。

年間に数えるほどのハワイ大学のフットボール試合がメインで、年に数回大物ロック歌手などがコンサートに使うくらいだ。プロフットボールチームが存在しないハワイ州ではスタジアムの稼働率は非常に悪い。年に数えるほどしか使用されないスタジアムに莫大の税金を使うより、庶民が利用できる集合住宅などの建設が優先されるべきだとする意見もある。

鉄道建設と同じように、アロハ・スタジアムの建設が始まっても完成までかなりの時間がかかるだろう。先に州知事は2028年に完成させると言っているが、5年先に完成しているだろうか?10年後には、ここから見られる風景も変わっているに違いない。

*レインボーカウント: 午前7時半、午後5時半過ぎに出現 2023年 30日

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日本人スパイが通った料亭(1941年)

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ハワイでは毎年12月7日には、真珠湾攻撃の犠牲者の追悼と世界平和を願って記念式典が行われる。戦後80年近くになっても、その当時のことは我々にさまざまな事を考えさせてくれる機会となっている。

82年前の開戦直前、ハワイで忙しく密かに諜報活動していた日本人がいた。吉川猛夫は開戦の年1941年の3月に「森村正」と偽名を名のり、ホノルル日本総領事館に派遣されてきた。「森村」がよく出入りしていたのが、ダウンタウンに近い遠くに真珠湾を望む小高い丘に建つ日本料亭「春潮楼」(現「夏の家」)だった。 吉川猛夫の本当の身分は、大日本帝国海軍に属する海軍少尉だった。

領事館の事務員は表向きの顔で、実際は真珠湾のアメリカ海軍基地の動向を密かに日本に打電するスパイ活動をしていたのだ。この「春潮楼」(現「夏の家」)は小高い丘に建つ絶好の偵察場だった。料亭の2階から望遠鏡で真珠湾に停泊する軍艦の数などを、日本に報告していたのだった。

真珠湾にあるアリゾナ記念館を訪れると、吉川猛夫の写真と共にそのスパイ活動が紹介され展示されている。1941年12月7日の日本軍の攻撃開始は、スパイの吉川猛夫にも知らされることなく極秘で行われた。当時のハワイに住む多くの日系移民の人生を狂わせる真珠湾攻撃だった。



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1957年 シボレー・ベルエア

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アメリカではクラシックカーをよく見かける。古いものを大切にして、整備しながら長く乗車する人たちがいる。クラシックカーは何と言っても、アメリカが一番力があって輝いていた時代の大きくてどっしりしている50年から60年代の車がいい。

先日見かけたのが、1957年のシボレー・ベルエア(Chevrolet Bel Air)だった。66年前の車とは思えないほどピカピカの新車のようだ。53年から製造された初代ベルエアでは57年製が最後で、最もアメリカらしい高級感に重量感があるデザインの一台だ。

画像のコンバーチブル(オープンカー)は3人掛けベンチシート2列の6人乗りだ。今では古いアメリカ映画でしか見られないベンチシートは、当時ではごく一般的なシートだった。屋外で観る映画のドライブインシアターで、家族3人が仲良くベンチシートで映画鑑賞もできた。

ボンネットにはロケットがデザインされたマスコットが2個付いている。V8エンジンでロケットのように速いイメージのデザインだ。現代のプラスチックや合成樹脂の安っぽい車と違って金属の重量感と高級感がある。

当時の車の特徴は、車種によって給油口が違う。このベルエアは後ろの左テールライトの一部が開くようになっていて、そこに給油口が隠されている。セルフサービスが昔から一般的なアメリカらしい発想の給油口だ。

これまで、ハワイ州内で何台もクラシックカーを見てきた。写真が残っているのもあるので、新たなカテゴリーを設けてシリーズ化してみよう。


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ダウンタウンに韓国スーパーがオープン

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昨年6月に閉店したダウンタウンのロングス。ダウンタウンの一等地にありながら、万引きなどの被害が絶えず閉店してしまったロングスだが、その跡地に韓国系の食料品スーパーマーケットがオープンした。 内装はほぼ以前のまま、オープンしたばかりなのに真新しさが感じられない店内だ。

ロングス跡にオープンした韓国系スーパーは、アラモアナセンターの山手裏のウォルマート近くにあったものだ。そのスーパーマーケットがコンド建設で移転してダウンタウンにやって来たのだ。

このスーパーの韓国系オーナーは、同ビルのホテル地下にレストラン「オノ・カイ」もオープンさせている。場所は、コロナで閉店したスポーツバー&レストラン「フキラウ」の跡地だ。このオーナーは最近、キングとピイコイ通り角にルーフトップ・ベーカリーカフェをオープンさせた。

ダウンタウンで働く人向けだろう、昼前には入り口近くにたくさんの弁当が並べられている。生鮮食品が少なく、長持ちしそうな韓国商品が多い。我が家は利用頻度が少なさそうだ。ダウンタウンにはセイフウェイが存在するが、チャイナタウンが隣接するこの地で韓国系の食料品スーパーの開店は受け入れられるのだろうか。


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ハワイ州外の車ナンバー(バーモント州)

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コロナウイルスが出現する前からハワイを去る人がいたが、コロナ禍でハワイを出ていく人の数が増えている。ハワイのアメリカ一の異常な物価高と雇用機会の少なさが、ハワイで生活することを困難にしている。

ハワイでのギリギリの生活から、経済的に精神的に余裕のある人間らしい生活を送るため、ハワイから本土の移住を決断する人が少なくない。ハワイを出ていく人たちはこれからも増えていくだろう。

ダウンタウンでバーモント州のライセンスプレートを付けた車を見つけた。出ていく人もいれば、ハワイにやって来る人もいる。リモートで仕事ができるようになった今の時代、経済的な余裕があれば、世界のどこででも仕事はできる。

バーモント州の北はカナダ国境で、西はニューヨーク州、南はマサチューセッツ州、東はニューハンプシャー州に隣接する。人口は全米で2番目に少なく、わずか64万人にすぎない。ハワイからは遠い上に人口が少ない州なので、その州から来た車を見つけられたのは幸運だ。バーモントの名前の由来は、「緑の山地」を意味するフランス語から派生しているようだ。

バーモント州のライセンスプレートの絵柄は、1990年より現在まで使用されている。山の木々と雪を象徴する緑と白の2色で、左上にはバーモント州で採れるメイプルシロップのサトウカエデの木が表されている。下部には州の愛称、Green Mountain State が表記されている。

アメリカでは、州によってデザインが異なり、それぞれの州の特産品や有名なモノが図柄になることが多い。ハワイ州は、レインボーが背景になっている。これまで24州のライセンスプレートを紹介してきた。ハワイですべての州が見つかるのか?50州すべて見つかるまで、これからも紹介していこう。

*レインボーカウント: 午後4時過ぎに出現 2023年 29日


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潰れる店、オープンする店(ダウンタウン)

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ダウンタウンの古いトランスポーテションビルの1階は飲食店の店舗があって、ランチ時はオフィスで働く人たちでにぎわう。しかし、コロナ禍以降はオフィスで働く人の数が減って、どこも経営が大変なようだ。

以前アラモアナショッピングセンターの2階に白木屋があった。その白木屋の2階(ビル3階)は弁当屋や惣菜を販売する店舗がたくさん入っていた。白木屋が場所を変え1階に移転してからはその名前を見ることがなかったが、以前の白木屋に入っていた弁当屋の「まま屋」がダウンタウンのトランスポーテションビルに移転して営業している。

以前も日本食の弁当などを提供してくれる店舗があった場所だ。過去に何度となく利用したことがある。テーブルとイスがいくつもあって、ランチ時は長い列ができる店舗だった。過去にブログで紹介したことがあるだろう。

思い起こせば、このような私が利用してきたダウンタウンの店舗はいくつもあった。コロナで時代が変わってしまった。オフィスで働く人が少なくなり、また人は外食をしなくなり、多くのお店は潰れてしまった。新規の店舗は、よそよそしく新たに行こうと気が起こらなくなってしまった。これは私の歳のせいだけではないと思いたい。

*レインボーカウント: 午前8時に出現 2023年 28日

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ハワイ音楽の父、ヘンリーバーガー

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ロイヤルハワイアンバンドを語る時、あるドイツ人を抜きには語れない。1843年ベルリンで生まれたハインリヒ・ベルガーは、ハワイにやって来る前まではドイツ帝国軍楽隊の隊員であった。

ハインリヒ・ベルガーは、王立バンドを率いた作曲家ヨハン・シュトラウスの下で演奏していた。ヨハン・シュトラウスが、ドイツで始めて「美しく青きドナウ」を演奏した時の楽団の一人がハインリヒ・ベルガーだった。

1872年にハワイ王国楽団の指揮のために、ハインリヒ・ベルガーがドイツ皇帝から派遣されることになった。当時は楽器演奏もままならないロイヤルハワイアンバンドの楽員を、世界で演奏できるほどに育てあげたのが彼だった。

音楽を愛するリリウオカラニ女王が作曲した「アロハ・オエ」を編曲して、ブラスバンドのロイヤルハワイアンバンドで演奏して世界に広めたのもハインリヒ・ベルガーである。ハワイに古来から伝わる楽譜をもたない音楽を西洋式の楽譜に落とし、世界に残した彼の功績も忘れてはいけない。

ハインリヒ・ベルガーは、英語名ヘンリー・バーガーと改名してハワイに帰化している。ヘンリー・バーガーは43年をロイヤルハワイアンバンドのために捧げ、1929年に85歳でホノルルで亡くなった。彼はカワイアハオ教会の墓地で永眠している。

リリウオカラニ女王は、ヘンリー・バーガーを「ハワイアン音楽の父」と呼び称賛した。1874年にカラカウア王が歌詞を書き、ヘンリー・バーガーがそれに曲を付けた。この曲はハワイ王国国歌として、のちにハワイ州歌として歌い継がれている。今は様々な行事やイベントの始まりに歌われるのが「ハワイ・ポノイ」だ。

私のウクレレ演奏「ハワイポノイ」をBGMに、YouTube動画を作ってみた。チャンネル登録、よろしくお願いします。




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何でも有料にしてやろう!

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不動産価格が落ち着いて、これまで順調に来ていた当てにした税収が予定通り入らないかもしれないと役人たちは慌てている。わずか数パーセントの不動産価格の下落でも、全体の固定資産税の収入の落ち込みは税収に影響する。

物価高に便乗するように、私たちが今まで普通に無料で利用できたもののに課金されるようになった。先の議会ではハワイにやって来る観光客に新たな税金として課金する案が上がった。準備不足で先送りになったものの、どうも実現しそうだ。

一番人気の観光地パールハーバーの無料駐車場が、この春から有料となった。ダイヤモンドヘッドを始め、すでに観光地に入るには入園料が必要となる公園が増えている。将来にはワイキキビーチ入水料金などが発生するのかもしれない。

ローカルの人たちが利用する上の画像の周辺にある無料駐車場を有料にすることが検討された。アラモアナビーチ周辺の無料の駐車場もしかり。多くの反対があって、今は無料となっているが、この駐車場の課金も時間の問題かもしれない。

お金に余裕があれば楽園ハワイだが、この数年でハワイは大きく変わろうとしている。ハワイはどこへ行こうとしているのか?しっかりこの目で追っていきたい。

*レインボーカウント: 午後5時過ぎに出現 2023年 27日

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インフレがハワイから人を追い出す

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金利の上昇と高インフレが、ハワイに住む人々の家計を圧迫している。ハワイでは4月の破産件数が今年の月間最高値を記録した。ハワイ地区連邦破産裁判所のデータによると、先月の申請件数が、前年同期から29%増加し、2022年の同時期と比べて件数が増加した。

安い缶詰肉のスパムやラーメンを食べて、生計を立てるために2、3の仕事を掛け持ちしなければならない人々はハワイでは珍しくない。物の価格や家賃は上がっているのに給料は上がっていない人々が少なくないのだ。

金利上昇により変動クレジットカードや住宅ローンの支払いが増加し、その結果多くの消費債務者が家計のやりくりに苦慮している。昨年末時点で、1,800万人以上のアメリカ人がクレジットカードの支払いを滞納していた。クレジットカードの負債は過去20年で最も急速に増加している。

消費者はコロナ禍に借金を積み上げ、現在は請求の支払いに四苦八苦している。 最近の調査によると、昨年末のハワイの平均クレジットカード負債額は8,556ドルで、ハワイは1人当たりのクレジットカード負債額が全米で7位となっている。全米平均の5,805ドルをはるかに上回っている。

全米一と言われる物価高のハワイは、生活費が高くて賃金がインフレに追いついていない。世帯収入の低い人々や40代、50代の働き盛りの人たちがクレジットカードを使用して、その負債がますます増加しているのがハワイの現状だ。ハワイから離れていく人が増えているのも納得だ。


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