しばらくは亡くなった親のことを想うことが、遠くにいる者ができる唯一の供養だろう。父と母の場合ともに危篤の連絡を受けて、すぐにそれぞれ二度ハワイから駆け付けることができた。残された家族に心の準備をするじゅうぶんな時間を、父と母は設けてくれたのだろう。
直接看取ることはできなかったが、息を引き取る場面ではテレビ電話で二人に声をかけることもできた。今でも病院によってはコロナ感染を理由に面会できない所があるようだが、危篤の患者の家族は二人まで毎日30分の面会が許され、先月の一度目の帰国では母が意識のある内に面会ができた。
さまざまな状況を考えると、つくづく私は恵まれていた。少し前のコロナ禍なら、患者がどんな状態でも面接が許されなかったはずだ。父の場合と同じように、最初の母危篤の報でも日本に帰国でき意識のある母に会うことができた。二度目の先週の帰国では最期の看取りはできなかったが、葬儀に間に合い骨を拾うこともできた。
今の世の中には、一緒に住んでいた家族の面会が許されず看取りどころかお骨も拾えなかった人たちが多くいる。今の私には考えられない事だ。それを考えれば、私は本当に恵まれていたと思う。やさしい気持ちで母を送り出すことができた私は幸せ者だ。
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直接看取ることはできなかったが、息を引き取る場面ではテレビ電話で二人に声をかけることもできた。今でも病院によってはコロナ感染を理由に面会できない所があるようだが、危篤の患者の家族は二人まで毎日30分の面会が許され、先月の一度目の帰国では母が意識のある内に面会ができた。
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