今日のハワイの新たな感染者は200人、オアフ島での感染が174人、ハワイ島で22人、マウイ島で4人の感染が確認されている。新たな死亡者は1人、死亡者数合計は63人。これまでの感染者数の合計は8,339人となった。
オアフ島:7,584、マウイ島:331、ハワイ島:340、カウアイ島:57、モロカイ島:3
東京都の1/10の人口のハワイの現在感染者数が、ついに東京都の2倍以上になった。東京都の2,687人に対して、ハワイは5,756人になっている。ロックダウン4日目、感染者数は今をピークに徐々に減少していくと考えられている。油断すればすぐに感染が拡がる怖さがある怖いウイルスだ。
小学生の時に名古屋郊外にある小牧航空自衛隊で開催された航空ショウに初めて行って圧倒された。戦闘機の目的も知らないで、その姿形にすっかり魅了されてしまった。プラモデル制作は幼い頃の私の趣味になった。数たくさんのゼロ戦を組み立てた。ゼロ戦に次いで組み立てたのが、アメリカの戦闘機と爆撃機だった。
大人になってある夏のデパートの催事場を訪れて童心に帰ってしまった。名古屋松坂屋本店が毎年夏になると、模型のタミヤ(TAMIYA)が催事会場で特別展示販売セールを開催していた。組み立てた作品のコンテスト優秀作品のを見るのが楽しみだった。デパートの近くに住む私はそのイベントに毎年足を運んだ。それを機会に、またプラモデル制作を始めた。組み立てるだけでなく、いかに本物のように塗装を施すか、時間を忘れて童心に戻れた。
先日より終戦75周年の記念イベントがオアフ島で行われている。昨日は第二次大戦のプロペラ機14機が、オアフ島の空を一周する平和飛行のパレードを披露してくれた。古い戦闘機が実際に空を飛ぶのを見て感動したのは、組み立てた戦闘機が飛ぶ姿を想像して楽しんだ古い思い出が蘇ったからだろう。自分が時間をかけて組み立てたプラモデルが飛んでいると思ったのだ。
昨日は東回りの一周フライトで、今日は西周りの一周フライトということで、もっと近くで見たい気持ちを抱き今日のスタート地点のハレイワまで双眼鏡を持って車を飛ばした。予定の午前10時過ぎ、爆音とともに目の前に現れたのがトップ画像のP51マスタングだった。50mほどの至近距離を地上3mほどの高さをディリングハム飛行場の滑走路上を通り抜けて行った。私が何度も組み立てたP51が私の前を通り過ぎて行った。
ターボチャージャー過給機と最高速度700km超を誇るエンジン音を発しながら、まるでスローモーションのようにまさに私の目の前を左から右におよそ1000mの距離を移動していった。滑走路を過ぎると右に旋回して海上に出てカナエポイントを右に爆音を残し旋回していった。まるで夢のような一瞬の出来事だった。
開戦当時に日本の10倍もの国力をもつアメリカと戦う無謀さを誰よりも知っていたのは山本五十六だった。軽量で機動性と操作性に優れゼロ戦は、機体の軽さに見合った高性能を誇っていた。ゼロ戦と大きさはあまり変わらないアメリカ戦闘機、重量はほぼ倍、大エンジン装備にパイロットを守る重武装重防御を施していた。軽量化を図るため、ゼロ戦には飛行士やエンジンの防備はなかった。国力の差が戦闘機にも表れている。それでも日本人パイロット達は良く戦った。
平和な日に生活できる私たちは恵まれている。コロナの感染防止ぐらいで文句は言えない。ゼロ戦とアメリカ戦闘機P51が一緒に平和飛行するのを一度でいいから私の目で見てみたい。
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