2002年にハワイのコンドに引っ越して以来の顔見知りがいます。ロイは、私がハワイのこのコンドに引っ越してきて以来の知人です。75歳を越えた日系ニ世のロイ・オオタケとは、コンドのジムでよく顔を合わせトレーニングの合間によく世間話をします。ロイは日本語が話せません。オアフ島で生まれ育った人です。
ロイは今は仕事を退き、毎日を健康維持のためコンドのジムで、毎日トレーニングをしています。世間話の中でよく出てくるのが、彼のルーツ・日本についてです。彼は、ニ世ながら今だ一度も日本の土を踏んだことがありません。
ロイの夢は、元気なうちに一度祖父の故郷である福島県を訪れ、祖父のお墓参りをすることです。何か事情があったようで、日本にいるであろう親族の情報がまったくありません。ロイと少なからず血が繋がった人たちが日本にいることは確かです。
1902年日本生まれのロイの父親は、9歳の時、福島県から家族でハワイにやってきました。ロイの父親は両親に連れられ兄弟4人の6人でハワイにやってきました。ロイは祖父の名前さえ知りません。ロイの父親には、二人の兄がいて、一人の妹がいましたが、すべての方がずいぶん前に既に亡くなっています。
ロイのおじさんの一人は、あのアメリカ日系人の442部隊退役軍でした。祖父の手がかりがほとんどありません。ロイの祖父はハワイに移住した後、子供たちをハワイに残し、日本に帰国しています。日本との戦争があって、止むを得ない事情があったにちがいありません。
ロイの父親は日本で生まれているので、それなりの手がかりがあるはずです。1902年(明治35年)生まれ、苗字はオオタケ、名前はタカヨシ。9歳でハワイに福島県から家族で移住。アメリカの市民権は取っていません。これだけしかありません。
ネットで調べてみると、都道府県別のハワイ移住民のなかで、福島県は全国で7番目の多さです。東日本では一番多くなっています。背景には、凶作などによる農村の疲弊や戊辰戦争に敗れて海外に新天地を求めようとした開拓者精神など、さまざまな要因があったようです。
以上は、およそ7年前の2010年12月に紹介したブログです。翌年何かの手がかりを求めて福島県に問い合わせをしようとしていた時、東日本大震災が発生しました。日本はロイのルーツを求める状況ではなくなってきました。
ロイは福島の災害状況をテレビニュースなどで知って、自分のルーツの福島のお墓もすでに津波で流されてしまったのだろうと肩を落としました。災害地の復興が落ち着くまでは、こちらから問い合わせることもできません。
震災から3年後の2014年、私のブログを読んでいたただいた山田さんと云う方からコメントをいただきました。アメリカの相続人の調査、研究などをしている方です。1900年から1959年の乗船者名簿、戦前のアメリカ国勢調査を調べていただくと、ロイの父親が見つかったのです。
1911年3月30日に福島県長塚村からホノルルにやって来た人の中にタカヨシ・オオタケの名前を乗船者名簿から見つけだすことができました。さらに1940年の米国国勢調査を調べていただきタカヨシ・オオタケさんの家族構成を確認すると、この人物がロイの父親であることがわかりました。
また昭和16年発行の布哇年鑑から福島県出身の大武隆義さんの名前を見つけていただきました。年鑑によると職業は大工になっています。ロイに確認すると、確かにロイの父親は大工さんでした。家族構成も間違いありません。ロイの父親タカヨシ・オオタケさんは大武隆義さんであることが確定しました。
山田さんが「9歳のロイの父親タカヨシさんは、きっと親と一緒にハワイにやって来ただろう」と改めて乗船名簿を確認すると、カメ・オオタケ(40歳)の名前を発見しました。名簿の身元引受人にはキョウスケ・オオタケの名前が記録されていました。今までロイが知らなかった祖父母の名前までわかったことになります。大きな進展です。
祖父のキョウスケさんが単身で先にハワイに移民した後、妻のカメさんと9歳のタカヨシさんを呼び寄せたと推測して間違っていないでしょう。日本語の漢字名がわかったことは大きな進展でした。ロイの苗字の「大武」は珍しい苗字だったのです。山田さんによると全国で電話登録されている「大武」さんはわずかに638件。福島県にはわずか12名。
乗船者名簿にあった福島県長塚村は現在の福島県双葉郡浪江町です。ここで大きな問題があるのがわかりました。ロイのルーツ福島県双葉郡浪江町は福島第一原発の影響で、すぐに立ち入りが禁止された町でした。誰も住んでいません。ここでロイのルーツ探しに大きな壁が立ちふさがりました。
落胆して1年4ヵ月後、福島県出身の写真家・橋本直樹さんから私のブログにコメントが届きました。(ハワイ・移住・福島など)で検索して私のブログがヒットしたのです。震災後の福島の現状を写真家として伝える活動をしている方からのうれしい連絡が届きました。時々許可を取って一般人が行けない浪江町に行ってみえるのです。ロイの遠縁にあたる方を見つけ出していただけたのです。
浪江町は単独の町としてはブラジルへ最も多くの移住者を送り出している町です。また、浪江町のなかには、村をあげてごっそり移住した一族もあるそうです。写真家・橋本さんが浪江町の「大武」さんと連絡を取ってくださり、ロイのハトコの方を見つけてくださいました。
祖父のキョウスケさんが京助さんであることがわかりました。浪江町には京助さんの父、八十松(やそまつ)さんと京助さんの兄弟の玉治郎さんの名が彫られた大武家のお墓があります。お祖父さんの京助さんのお墓ではありませんが、ロイの祖先の大武家の墓です。
ロイの祖先のお墓を見つけてくださった写真家・橋本直樹さんのお世話になり、このたびロイの夢が実現しました。自分のルーツの祖先の墓参りが実現したのです。ロイがお墓参りをする様子を写真家橋本さんが送ってくださいました。インターネットがなかったら、実現したなかったロイの夢の実現です。
*写真提供:写真家・橋本直樹さん
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