楽園ハワイと私

2002年、カリフォルニアよりハワイに引っ越してきました。ホノルル・ダウンタウンに住んでいます。

2014年10月

決して楽ではないハワイ

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今日の朝刊のビジネス欄に興味ある記事が紹介されていました。経済テレビチャンネルのCNBCによると、ハワイ州はアメリカ50州の中で49番目のランク付けがされていました。昨年は堂々のワーストワンの50番を記録していますので、1ランクアップです。

56項目のさまざまな比較をしての総合のランキング付けです。ビジネス経費、労働力、生活費はそれぞれ49番になっています。生活費は昨年の50番から1番ランクアップしています。

今朝のCNNニュースによるとアメリカのガソリンの平均価格は1ガロン(3.8リットル)3.01ドルになっているそうです。今朝のカピオラニ通りのガソリンスタンドのガソリン価格は4.05ドルを示していました。1ドル以上も高くなっています。

シアトルから帰ってきて、あらためてハワイの異常な日常品の価格にびっくりしています。シアトルでは1ガロン3ドルを切るガソリンスタンドも少なくなく、我が目を疑いました。ハワイの4ドル以上のガソリン価格に慣れた目にはシアトルのガソリン価格がうらやましく思いました。シアトルの物価はガソリン価格のように、ハワイよりも30%は安く感じます。

以前からハワイで生活するには仕事を2つ、3つ持たないと生活できないと言われています。ハワイはガソリン価格だけでなくすべてが高く、生活水準は決して恵まれているとは言えません。ハワイは経済的に恵まれた人には楽園ですが、一般庶民には必ずしも楽園とは言えないかもしれません。



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起こるべくして起こった茅ヶ崎市副市長水死事故

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どんなガイドブックもハワイでは水難事故で亡くなる人が結構多いということまでは紹介していません。今日のローカルニュースの一面に紹介されていたのが神奈川県茅ケ崎市の木村竹彦副市長(63)がワイキキビーチでの水難事故でした。

日本からハワイを訪れる人が年間150万人もいれば、当然事故に遭う人も少なくありません。楽しいハワイでの滞在がちょっとした油断で取り返しもつかない事故につながることがあるのです。油断さえしなければ、避けることができるのです。

24日のホノルル市と茅ヶ崎市の姉妹都市協定締結式に参加していた副市長は4泊6日の海外出張の最終日、ワイキキの沖あい30m先で意識不明になっているのが発見されました。ハワイ時間25日午前8時ごろの出来事です。同日の夕方には日本に帰ることになっていた日の早朝の事故でした。

同行していた市長は副市長は海岸での公務中の事故で死亡したと発表しましたが、後に公務時間外にサーフィンをしていて亡くなったと発表しました。公務員の海外出張の危機管理意識はさて置き、ハワイではよくある事故で避けることのできる事故だと認識すべきです。

毎年、日本から訪れる観光客の方がハワイの海で亡くなっています。そのほとんどが圧倒的に体力の峠を越えた40歳以上の中高年の人なのです。日本からの長時間のフライトと19時間の時差は想像以上に体に大きな負担をかけています。とくに短期間の滞在では、予想以上に体に負担をかけます。

亡くなった副市長は、茅ヶ崎で週に何回もサーフィンに出ていたのでしょうか?久しぶりのサーフィンだったら自殺行為と言えます。「若い時はよく泳いだ、サーフィンをしていた」などの油断は、ハワイでは禁物です。

「せっかくハワイまで来たのだから、サーフィンでもしていこう」そんな軽い気持ちで、サーフボードに乗ったのなら気の毒としか言いようがありません。毎日のようにサーフィンをしていない63歳の年齢の人が、まだ体がハワイ時間に慣れていない日本時間の午前3時に海に入ったらどうなるのか想像つかなかったのでしょうか?心臓発作に襲われてもおかしくありません。

ワイキキの波を甘く見てはいけません。日によっては、時間によってはかなり大きな波がきます。トレーニングしていない慣れていない人が溺れてもおかしくありません。ましてや、高齢の人ならば心臓にかなり負担がかかることも軽視できません。

ヒルトンのあの浅いラグーンでも毎年、何人もの人が命を落とされています。ビーチ近くの浅い海で亡くなる人、またプールで亡くなる人など決して無理な事をしているようには思えません。長時間のフライトと19時間の時差が体に与える影響を甘く見てはいけません。40歳を超えたら特にそうです。

茅ヶ崎市副市長の検死結果はまだ出ていませんが、心臓発作か溺死になることは確かでしょう。運命だと言えばそれまでですが、ちょっとした注意があれば避けることができた事故でした。63歳と言えばこれからリタイアして10年以上ゆっくりハワイを楽しむことができたのにと思うと、残念でなりません。

ハワイは楽園ですが、油断から命を落とす必要はありません。同じ事故は繰り返してはいけません。どなたも、くれぐれも体に負担のない、無理なスケジュールのないよう、ハワイ滞在を楽しんでほしいものです。

不幸な事故でお亡くなられた副市長のご冥福をお祈りします。

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シアトルから

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6泊のシアトルの旅を終えてハワイに帰ってきました。

700枚以上撮った写真からピックアップしてみました。

今回は今まで使用していた13.6メガピクセルのカメラがシアトルに着いたとたんに、

使用できなくなりました。

予備のバックアップの6.0メガピクセルの10年以上前の古いカメラで撮っています。

シアトルの雨がちな天候で十分な光がない環境での撮影に加え、

古いカメラで撮る写真には満足できませんでしたが、

心の印画紙には思い出をしっかり焼き付けることができました。

ハワイに戻ってもまた機会があれば、シアトルで撮った写真を利用しながら

私の感じたことを紹介したいと思います。


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シアトルの摩天楼でランチ

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ニューヨークのエンパイア・ステートビル(443m)の86階の展望台(320m)もシカゴのシアーズ・タワー(527m)の101階の展望台にも上りましたが、西海岸で一高いシアトルのコロンビア・センター76階建て(287m)の展望も感動的です。

一般の展望台がある73階よりもさらに高い75階と76階にある会員制のレストランでランチをいただきました。アメリカでもシアトルでしか食べられないと言われている贅沢なほどカニ肉が入っているナッチョとカニ肉のクラムチャウダーを食べてきました。

75階から見えるシアトルの眺望は息をのみます。シアトルのシンボルであるスペース・ニードルが眼下に小さく見えます。東にはワシントン州にやって来た日系移民が「タコマ富士」と呼んだ日本の富士山よりも高い4392mのレーニア山がすでに雪を被って見えます。イチローが活躍したマリナーズのセーフコ球場と昨年のスーパーボウルの覇者シーホークスのセンチュリー・リンク・フィールドも眼下に小さく見えます。

すでに雨季を思わせるシアトルのはっきりしない天気でもこの眺望に感動しますが、夏の青空から見える展望はさらに感動的なものになるでしょう。今度は是非晴れた日にシアトルの街並みを見てみたいものです。


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ブルース・リーの眠るシアトル

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シアトルのダウンタウンの北西に、ワシントン湖を静かに見下ろす墓地があります。その名前もレイクビュー墓地と呼ばれ、世界から伝説の人の墓地を訪れる人が絶えません。

死後40年経ってもブルース・リーの墓前には、世界から訪れるファンの花やカードがささげられています。冷たい雨が降るシアトルの墓地で眠るブルースリーの隣には、28歳の若さでこの世を去った息子のブランドン・リーが眠っています。

大人の世界の掟に従っていたならば、ブルース・リーはこの墓地で眠ることもなかったでしょう。父の生き方の犠牲になった息子のブランドンにも約束された未来があったはずです。

アメリカ移民としてシアトルで生きていたブルース・リーは、移民の誰もが経験した言葉や文化の違いを克服してその頂点に登りつめました。その頂点で背中を押されて、深い谷底に突き落とされたのはとても残念なことです。

冷たい雨が落ちるブルース・リーの墓石に触れると、彼の静かで含みのある言葉の数々が浮かんできました。『川の水が絶えず流れているように、よどんだり逆らってはならない・・・』

ブルース・リーも自ら川の流れに身を任せていたならば、来月74回目の誕生日を迎えられていたでしょう。合掌


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ブルース・リー第二の故郷

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高校生だった私がブルース・リーと初めて出会った映画「燃えよドラゴン」は衝撃的でした。私が空手を始める動機にもなった出会いでした。ジェーム・ディーンのように、ブルース・リーは自分の映画が大ヒットするのを見ることなく32歳で亡くなりました。それを知ってショックを受けたのを昨日のように覚えています。

両親のアメリカ巡業中にサンフランシスコで生まれたブルース・リーが、18歳まで育った香港を追われるようにやって来たのがシアトルでした。わずか100ドルを持ってやって来たブルース・リーを待っていたのは試練の日々です。シアトルの中華街で下働きをしながら武道家として道場を開きます。トップの画像は、ブルース・リーが地下の部屋に住みながら初めて道場を開いたチャイナタウンにあるビルです。

ホノルルの新聞がシアトルのチャイナタウンの「ブルース・リー展」を少し前に紹介していました。ブルース・リーの誕生から死ぬまでを遺品と写真や動画で紹介する展覧会です。その記事を読んで、シアトルでは是非訪れたい思っていた「ブルース・リー展」に行ってきました。展示されている自筆の文章などを読むと、ブルース・リーは几帳面で真面目に生きていた人柄がわかります。

シアトルにはブルース・リーを知る人がまだたくさんいます。ブルース・リーにとって武道家として、また結婚など人生の大きな転機を迎えた第二の故郷がシアトルなのでしょう。シアトルはブルース・リーが永遠に眠る場所でもあります。


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スターバックス1号店(シアトル)

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アメリカのスターバックス本社は9月、株式公開買い付けによって日本のスターバックスを完全子会社にすると発表しました。20年のライセンス契約がまだ7年残る時期の完全子会社化です。この3年で株価が3倍になりました。アメリカ本社には高い買い物になります。

ドリンクのサイズやオプションを問わず使えた株主優待のドリンク券をもらえることを楽しみにしていた株主は、このニュースにさぞがっかりしたでしょう。10万円で株主になれた日本のスターバックスの株主にはスターバックスのファンが多いものです。

1971年にシアトルで開業したスターバックス1号店がシアトルにあります。パイク・プレイス マーケットの通りを挟んだ向かい側にあり、。茶色でちょっと絵柄が違う看板を見ただけでは、スターバックスと気づきません。店はあまりに小さく、お喋りしながら歩いてると通り過ぎてしまいます。スタバークスファンにとっての聖地なので、写真を撮り1号店限定商品を購入する日本人観光客が少なくありません。

ダウンタウンには古い建物を改造した8階建てのスターバックス本社があります。屋上には大きなあの女性のロゴが建てられ、夜にはロゴが遠くからも見ることができます。もちろん、シアトルにはたくさんのスターバックスのお店がありますが、ダウンタウン一高いコロンビアセンターの40階のスターバックスでシアトルの街並みを見下ろしながら飲むコーヒーは格別です。


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世界一の工場ボーイング(シアトル)

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シアトル郊外にあるボーイング社のエベレット工場は、敷地面積が東京ドームのおよそ89個分の広さを持つ世界最大の工場見学をしました。高さが11階建てのビルに相当する建物は、全長3.4kmとまず工場の建物の大きさに圧倒されます。工場のドアだけでもフットボール場のドアと同じ大きさなのには驚きます。もちろん、工場には製品(飛行機)のテスト飛行をするための滑走路と管制塔も備えています。

Future of Fligh と呼ばれる工場見学ツアー(16ドル)では、ボーイング747、777、787の飛行機の組み立てラインが見学できます。旅行で誰もが利用している旅客機が、どのように造られているのかを見学できます。飛行機のパーツが、プラモデルのように流れ作業で組み立てられます。工場はカメラの持込が禁止されていて、作業現場を紹介できないのが残念です。

ボーイング社や飛行機を紹介したビデオを見た後、ボーイング社の公式ガイドによる先導でツアーバスに乗り込みます。工場内で製造中のジャンボ・ジェットはもちろん、次世代旅客機ドリームライナー787の製造過程が見学できます。

1機およそ260ミリオンドル(280億円)と言われるボーイング787は、アメリカ・日本の国際共同開発の機体になっています。機体の35%は日本で製造されていて、この工場に運び込まれています。名古屋の中部国際空港から三菱重工小牧南工場で製造された複合材主翼が、ボーイング社の特殊巨大輸送機(ドリームリフター)で定期的に運ばれています。三菱重工小牧南工場では、今話題の50年ぶりの国産旅客機(MRJ)も製造しています。

海外旅行中旅客機のトイレに入って、日本人としてなぜかホッとした経験をしたことがありませんか?その理由には、ボーイング機の日本製のトイレにあるのかもしれません。787型機向けのラバトリー(化粧室)、ギャレー(簡易キッチン)、フライトデッキ(操縦室)の内装パネル、収納ボックス、操縦室ドアと周辺部分といった一連の内装品は、すべて日本の伊藤忠商事が起こしたジャムコ社が製造しているのです。

世界で製造された機体のパーツがこのシアトル郊外の工場に集められて組み立てられるのです。43000人が働く巨大工場です。屋外にはこれから引き渡される完成間じかの全日空と日本航空の787も最終チェックを待っていました。現在、シアトルのボーイング工場では787を月10機製造中しています。

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シアトル

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人口わずか63万ながら、世界にその名を知られた都市があります。

旅客機のボーイング、マイクロソフト、アマゾン・コム、スターバックス、百貨店のノードストローム、会員制倉庫型卸小売店のコスコなどの大企業が生まれその本社を置く地です。

私の心の師、ブルース・リーの眠る地でもあります。

ホノルルを遠く離れ、しばらく雨のワシントン州シアトルからアップします。



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ワヒアワの歴史あるヤシ並木

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オアフ島の中心にあるワヒアワの中心街から少し離れたところにドールの名前が付いた通りがあります。もちろんパイナップル王と呼ばれたジェイムス・ドールにちなんで名づけられました。ドールの従弟のサンフォード・ドールは1894年ハワイ共和国の初代大統領になった人物です。

1899年11月ハーバード大学を卒業した22歳のドールが、従弟を頼ってハワイにやって来ました。ワヒアワの辺りの赤土がパイナップルの栽培に適していることを知り、ハワイに巨大なパイナップル畑を誕生させました。20世紀にパイナップル産業が盛んになると、ワヒアワは「パイナップルの町」と呼ばれるようになりました。

ドールの邸宅がワヒアワにありました。ドールの家族やパイナップル畑を管理する関係者が住む区域につながる通りに100本近い立派なヤシの並木があります。ヤシの木はカリビアン・ロイヤルパームと呼ばれ、15m~20mにも成長します。ダウンタウンのイオラニ宮殿の正面入口から宮殿建物までに植えてあるあの立派なヤシの木です。

残念ながらドール関係者の建物があった土地は、1970年代に商業ディペロッパーの手に渡り住宅地として開発されてしまいました。立派なヤシの並木は、歴史的な価値あるものとして市の管理下に置かれています。3年前には7300ドルかけて、11本のヤシの木が植え替えられました。

ワヒアワのローカルB級レストラン「サニーサイド」から歩いてもいける距離(約500m)にあるドール邸宅に至るヤシ並木は、まさにハワイの歴史を見てきた並木です。


*ハリケーンが去って涼しくなるかと思いましたが、相変わらず蒸し暑い日が続いています。


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tigger

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