先月のハレイワの歴史ツアーで一番気になったのが、ワイアルアにある廃墟でした。最近になり観光客の人気スポットにもなっているワイアルアのソープ・ファクトリーがあります。その背後、ワイアナエ山脈の裾野に向って行きます。
普段は通行禁止になっているのでしょうか。車一台がやっと走れる道路の入り口には古い鉄門のゲートがあります。道路の両脇には、人の背丈以上の雑草が生い茂っています。突然、目の前に広がる風景が変わります。
今通り過ぎた、あのソープ・ファクトリーの砂糖キビ工場がまだ活躍していた頃、ワイアルア一帯には砂糖キビが栽培されていました。カウアイ島で1835年に始まった砂糖キビ産業が、このオアフ島のワイアルアでも興ります。日本を含めた世界からの移民が低賃金で働き生活する話は、映画にもなっているので知っている人も少なくないでしょう。
あのソープ・ファクトリーの煙突が遠くに見える距離にその廃墟は存在しました。教会を中心に砂糖キビ畑で働く移民たちの掘っ立小屋同然の家が存在し、小さな集落が存在していました。ワイアルアにこんな廃墟が存在することは思ってもいませんでした。
幹線道路からゲートのある道を入ってしばらくすると、草木の中にレンガの塔が2本立っているが見えてきました。聖ミカエル教会 ( St. Michael's Church ) の廃墟です。更に近づき、廃墟の前で歴史ツアーのガイドの説明を受けました。教会の周りには、見捨てられたような墓石が草木の中に見られます。
時代の移り変わりと共に、砂糖キビ産業が衰退していきます。かつて人が住んでいた所が廃墟になっているのを見るのは忍びない思いがします。60代のガイドのおばさんは、時代背景の説明だけで教会については何も言及しませんでした。私が「教会は焼け落ちたように見えるけれど、火事だったのか」と問うと、「そうかもしれない、私はわからない」と。
見ようによっては、巨大な古代の謎の墓石のようにも見えます。、近寄ると、何か訴えかけるような感覚があります。1900年になってすぐに焼け落ちたらしい教会について、ネットで捜してみましたが資料が見当たりません。
検索してこの教会についてヒットしたものは、不思議な作り話のような話だけでした。この近くで、150ポンド(60kg)を越える野ブタを仕留めた3人の男は、ブタを南京袋に入れて町まで運ぶことにしました。棒につるした南京袋を担いでいたところ、この聖ミカエル教会の廃墟の前にさしかかると、袋が突然軽くなります。3人が南京袋の中をのぞくと、中にいたブタが消えていました。3人は教会を見上げて、怖くなって逃げ去ります。
ハレイワの歴史バスツアーでは、何枚も写真を撮りました。同じように撮った写真の1枚が、昼に撮ったにもかかわらず、日が暮れた夕暮れのように真っ暗です。教会の敷地に設けられていた墓地の写真です。洋式の墓石の中に、一際目立つ日本のお墓にあるような墓石にカメラを向けた4枚の中の1枚です。今まで、何年も写真を撮ってきましたが、こんな写真は初めてです。この地には目に見えないエネルギーが存在して、画像を暗くしたのかもしれません。不思議な体験でした。
この教会の廃墟については、機会があれば調べ続けてみたいと思っています。調べていけば、ちょっとした物語が書けそうです。
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