ハワイでは毎年12月7日には、真珠湾攻撃の犠牲者の追悼と世界平和を願って記念式典が行われる。戦後80年近くになっても、その当時のことは我々にさまざまな事を考えさせてくれる機会となっている。
82年前の開戦直前、ハワイで忙しく密かに諜報活動していた日本人がいた。吉川猛夫は開戦の年1941年の3月に「森村正」と偽名を名のり、ホノルル日本総領事館に派遣されてきた。「森村」がよく出入りしていたのが、ダウンタウンに近い遠くに真珠湾を望む小高い丘に建つ日本料亭「春潮楼」(現「夏の家」)だった。 吉川猛夫の本当の身分は、大日本帝国海軍に属する海軍少尉だった。
領事館の事務員は表向きの顔で、実際は真珠湾のアメリカ海軍基地の動向を密かに日本に打電するスパイ活動をしていたのだ。この「春潮楼」(現「夏の家」)は小高い丘に建つ絶好の偵察場だった。料亭の2階から望遠鏡で真珠湾に停泊する軍艦の数などを、日本に報告していたのだった。
真珠湾にあるアリゾナ記念館を訪れると、吉川猛夫の写真と共にそのスパイ活動が紹介され展示されている。1941年12月7日の日本軍の攻撃開始は、スパイの吉川猛夫にも知らされることなく極秘で行われた。当時のハワイに住む多くの日系移民の人生を狂わせる真珠湾攻撃だった。
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